木曜日, 9月 02, 2010

できごと

自分では自信があり適切な判断と思っていても、人とのやり取りの中では思い通りに進まないことも。
ここでどういう手立てを考えるのか。
内輪で見せる態度取り組みとしての行動と、結果として発表する外部へのアプローチ。
本質と結果の落としどころ。
しばらく自分との、そしてモチベーションとの戦いが続きます。


面白いと意味があるの谷間。
現象をどう判断して、位置づけるか。
どこからモノのを見るのか。上から見たら円、横から見たら長方形。それは円柱。果たして円、長方形、円柱どれが正解なのか。
先入観や前提を持ってはいけない。それが面白さを見出すを信じている。
でも、持っている人への説明は体力が必要。
両者の間にあるスリット(隙間)を何とか埋めたい。
僕は絶対に折れない。結果によってそれが違うと示されるまで。


日本でいう「すみません(僕は「すんません」といってしまう)」「申し訳ない」と言ったニュアンスはこちらで言う「thank you」ではと思った。
「…しといたで!」「あー、すんません」
この「スンマセン」の後には「ありがとうございます」が続くと思う。
でも「スンマセン」にその意味は内包される。だから言わなくても通じる部分がある。
同じ状況で「スンマセン」だから「sorry」では少し違う気がする。
言葉に対する、字面から反映される辞書的な意味と言葉の持つ本質的な意味。
それは感覚やらでしか表現できないけど、そこに本質がある気がした。


言いたいこと伝えられない。
それは英語力の欠如としかいいようがないのだが、どうにも思い当たる表現が浮かばない。
単語いう知識量で解決できない気がするが、それの不足は否めない。
が、そういった前提にある程度無視して話そう。
伝えられないうえに、聞き取る英語から理解する意味を考える時に生じる「ん!?」
僕は相手の言っている部分に関して答えているつもりが伝わっていない。
相手の言っている意味がいまいち分からない。
理解のフィルター。英語のフィルター。語彙のフィルター。知識のフィルター。(頭の良さ悪さ…、おっと)
果たして僕はちゃんと人と意思の疎通が出来ているのか甚だ疑問に思った。
だからこそ下手糞でもしゃべっていこう。自分に信念がある限り。



この生を全うすることは、時に苦を時に楽をもたらす。
それを感じることが生きることの証であり義務でもあるのかもしれない。

おもしろき こともなきよを おもしろく
高杉晋作

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