月曜日, 5月 02, 2016

13th book on 2016(243)

あの日 単行本 
小保方 晴子 (著)
講談社 (2016/1/29)

読むか読むまいか迷いましたが、いち研究者として読んでおかないといけないのではと思い手にしました。

ここに書かれていることが100%事実だとか嘘が混ざっているとかは正直分かりません。でも、ここから覗けるある種の事実は感じれた気がします。たかじんさんに関わる「殉愛」を読んだ時のように。

正直って素人さん(マスメディアの方も含め)には今回の一件を理解するにはある程度の科学の勉強や研究の世界のルール勉強をしてももらわないといけない部分がある。僕の常識お前の非常識がやっぱりありますから。僕でさえこの本のおかげでstem cellやiPS cellに関わる初期化のことを深く理解できたと思っているぐらいなので。それを踏まえて、科学的な問題と人として科学者として組織としてあるべき倫理や道理の問題が完全にごちゃ混ぜになって正しい形で批評・報道されてなかった、いやすることが出来なかったんだと。

僕でも感じる筆者自身の非の部分(稚拙さ杜撰さ)と負の部分(不運さ不憫さ)が正の部分(発見した事実)を覆い隠してしまったのも色々と正しく伝わらなかった原因かと。

「間違っている」とか「出来なかった」って言葉尻をとればゼロサムに聞こえるけど、絶対に段階と到達度があるわけで。その設定に届かなかった場合の表現としての「間違っている」とか「出来なかった」しか表で取り上げてもらえなかった。なぜなら上にも書いた非の部分・負の部分が強く出てしまっているから。なぜならその前に書いた要点がごちゃごちゃになったから。

マクロ的であることミクロ的であること。具体的と相対的。分けるもの一緒にするもの。当事者でも的確に判断しかねることがあるのににそれ伝えるとなると、ねぇー。
もっとよい方法論があったと思う。敢えて言うと、ここまでありえないが重なるなんてコントのように見えて仕方が無い。この本を読む限り。世間の熱もあったでしょうけど。

ここの記録上200冊目にあたる「捏造の科学者 STAP細胞事件」の感想をもう一度読み直したけど、結構同じような記述をしてました。その筆者の須田桃子さんはこの「あの日」の中でも出てきます。
伝えられた側と伝える側の立場がくっきり出ています。関わった人の言葉が加わればもう少しハッキリするのでしょうけど。この2冊の本からみえてくるキーポイントは僕にはクリアになりました。

上記を踏まえて発見には謙虚であり臆病さと大胆さと慎重さの狭間で悩める研究者でありたいと思いました。そう考えると酒はやっぱりカオスを起こすな。。。

0 件のコメント: