木曜日, 9月 12, 2013

「できる」と「正しくできる」の間にある大きな溝

昨日ある人生の大先輩と酒を酌み交わし話しながら気づいた事がありました。

日本では割りとひつの所で生涯を終えることを良しとしたり美学のようにする所がありますが、欧米では色々な所を転々とする方が良いキャリアだとみなされます。
僕のやっている研究ではこの傾向はとても強いです。これに対して僕は以前から納得していな部分があったのですが、少しだけ冒頭に書いたように昨日の会話で腑に落ちた部分がありました。

まず、僕の意見から記します。
確かに色々なところに移るということはいろいろな経験を得れるでしょう。そしてそれは人生のキャリアになる。その点は分かります。
でも、移動した先でどう結果を出したかというのはこの会話であまり語られない部分だと僕は思います。
Aというところに2年在籍し、Bという技術を学んだ。そしてCに移り新たにDを。。。
と言った際、学んだBやDはどの程度のレベルなのか。極端な例だけどBが算数だったとして、足し算だけまたは加減乗除を完全にマスターでは雲泥の差があると思います。
料理にしろ、音楽にしろ、芸術にしろ、スポーツにしろ、どんな分野でも「できる」ということと「質の高い仕事ができる」の間には大きな違いがあるはずです。
もちろん2年でマスターする人もいれば、10年かかっても無理な人もいるはずです。
こういったことを意識しないで、経験として移るということがキャリアとして成功する社会なら本当にいいなぁと思います。
求めるゴールがどのレベルか、ジェネラリストかスペシャリストかという問がもちろんあるのは分かってはいますが。。。

そして昨日腑に落ちた部分と言うのは、その方が「割にこっち(アメリカは)コネだったり人間関係で決まる部分もあるからねー」。日本にもコネはありますが、ここでいうコネはイメージとしてトップダウンや個人の裁量の大きさという感じでしょう。
そのネットワークをどう作るか。そこで色んな所に移るというのは人と会うという刹那なことではなく、時間を共有すし理解しあうというプロセスがるので確かに一理ありそうだなと。
ハーバード大学に入ってくる人には多種多様な同期とコネクション・ネットワークを作るために入る人もいると聞いたこともありますし。
でも、自分仕事がちゃんとしてないと知ってるだけの知人で終わって、仕事のオファーとかまでは行かないような気もするのは僕の意見ですが。

今いる所で移動してるに負けないネットワークを作るかという、ちっちゃい抵抗をしたいなと感じた昨夜の出来事でした。
それこそSNSの時代だとか言われるわけですし。
でも、この話になるとリアルな人間関係が。。。という論調に僕はなるので、この両者の溝を埋める手を考えないと。。。

何が間違いで何が正解か考えた人にしか見えない問なんでしょうね。
時に自己主張を押してしまう人間なんで、また反省ですなぁーーーー。
結論はよーわからん!これでいいのだ!


いや、あかんやろ笑

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