火曜日, 5月 19, 2015

21冊目2015(208)

私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ) 新書
武田 徹  (著)
中央公論新社; 増補版 (2011/5/10)

ゴジラが生まれように鉄腕アトムが生まれように(2つとも本の中で出てきます)作家さんがいて演出家がいて台本に沿って(しかもハラハラドキドキのある)ものとして、今の現状は存在しているのと。

単純な政治的や経済的といった大枠の話でない、歴史の一つ一つきの機微が”原子”という名の付く原子力周りの軌道に沿っているように思えてなりません。

第二次世界大戦(大東亜戦争)はもちろんのこと高度経済成長や冷戦に大阪万博。地域格差に科学技術、エネルギー政策、安全保障も。政治家・企業家・科学者の思惑にいたるまで。
これだけ色んなところに侵食している以上、日常で生きる僕たちも知らず知らずに当事者になっている気付かない現実。

冒頭に書いたアトムやゴジラも原子力と関係し、各種映画・アニメで放射能は話題になる(北斗の拳も宇宙戦艦ヤマトも)。
インターネットは軍が開発したといったことは知っていたのですが、それは核攻撃時における通信網と関係してたなんて。

僕の場合は第二次大戦前の物理学の発展として各種原子の発見を「若き物理学徒たちのケンブリッジ: ノーベル賞29人 奇跡の研究所の物語 (新潮文庫)」で、震災後は「福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2」や「知ろうとすること。 (新潮文庫)」などを読んでいるためか、点が綺麗な線となってしまったのもあって、この本が読者として食い入るように読んでしまったのかもしれません。
そして本当にありえないような偶然が繋がっているとしか僕には思えない。

ところがここで量子論的な偶然を勘案すると「この偶然」も真なのかと。哲学・宗教的側面まで帯びさせることが可能なのかと。

都構想もそうですがゼロサムで議論しているうちは本質ではないのでしょうかね。

この本が福島第一原発事故の前に書かれていたこと、そして新書となって事故後にもう一度出版されたこと。読後にこの2つの事実だけでも十分考えるに値します。
手にとって時代を感じ、今の現実と今後について思いを馳せて欲しいです。


ここからは感じたことを。
よく東北地方や新潟の原発を踏まえて都心への電力供給地と揶揄したり。それを考えると江戸時代の石高という制度はなんともよく出来たものなかと。米が国力を示す指標であり通貨的な役割もになっていた。都市部の反映と農村部の米の取れ高。つまりは先ほど揶揄していた地域は電力ではなく米を供給し、それは過疎とかいった言葉でない大きな強い地域だった。
時代もあったでしょう。でも何か大きな視点を獲た気がします。そして日本の国サイズというのは一つ大きなキーワードになるとも。

勉強になりました!!

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