水曜日, 11月 26, 2014

読んだ本・その38(181)

ペンギンが空を飛んだ日―IC乗車券・Suicaが変えたライフスタイル (交通新聞社新書) 単行本 – 2013/8
椎橋 章夫 (著)
交通新聞社 (2013/08)

当たり前になっていることが当たり前でなかった時。その当たり前を考案するするとはどういった事なのか?

この本は物語とか、ビジネスモデルとか、企業のありかたとか、投資とはとか、技術者とはとか、テクノロジーとか、社会インフラとか、色んな側面で語ることが出来るでしょう。
なぜなら、だれもが当たり前のように接するものが出来るまでの話だから。

久しく日本を離れていますが、僕が居た当時でもかなり普及していたIC乗車券。この本を読む限り社会インフラとしてそして便利さの象徴として広がったこのシステムの凄さを感じました。

「XXXしたい。XXXだったら。」から行動をおこして最後に「XXXになった。XXXができた。」という夢の実現。夢物語。この実現は現状維持との戦いでしょうね。だって今までの切符のシステムで一応はちゃんと回っているんだから。
そこに、でもって切り口を入れる勇気と覚悟と決断がそれぞれの立場で出来るか。
揃う時があるから面白いし、揃ったから現在の空間が存在する。

興味深く思ったのはSuicaが自己の機能を果たしだしてからの提携の動き。利便性を得たことによる更なる欲求。その欲求が反映する現実。
本書に出てく関東圏のSuicaと北海道のKitacaの提携の話なんて、なるほどなーって!
こういった視点の数々に唸りました。

自分のやってることに当てはめてみて、僕もがんばるか!ってなりました。そして気付いてない何かを感じ取れるようになれたらなと。
そのために。。。
もう飲みに出かけよう!明日は休みやしええやろーーー。。。アカンと思う。。。

木曜日, 11月 20, 2014

読んだ本・その36, 37(179, 180)

殉愛 単行本
百田 尚樹  (著)
幻冬舎 (2014/11/7)

争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール 単行本(ソフトカバー)
木村 元彦 (著)
集英社インターナショナル (2011/12/15)


殉愛に関しては1冊について感想を述べるつもりでいました。ところが、次に手にした我那覇選手の本があまりにも本質的な部分で似ているので一緒に記すことにしました。

戦う人と支える人。
共感する人と問題を作る人。
真実を知ろうとする人と嘘をつく人。
奇跡としか思えない出来事や人と人のつながりから生まれるケミストリーの数々。
いいかげんなマスコミとそれによって真実から遠ざかる我々。
あきらめの淵であきらめないヒトの強さと耐久性
そしてこの2冊には医療と言う現場で戦う人の職業倫理が加味されます。

これはノンフィクションなのです。その深さ。悲劇の極地は喜劇。嘘のような事実。

真実は当事者とそれに関わった人しか知らない。
そして幸いに真実に誠実な人と残念ながら自分を第一に行動する人が交錯します。
人としてとか義とが善とか悪とかフェアとか。

結局はそこにその人の人間性が如実に反映される。
それが闘病とか裁判とかといったある意味で追い込まれた状況。
だからこそ、真実や現実に対して向き合える自己犠牲を払えるという尊さ。

読んでいて腹が立ちます。ある一部の人たちの立ち居振る舞いに。
もちろん書く側の立ち位置があるからこそ発生します。でも、ここで”向う側”に立つような人間にはなりたくない。
同じ気持ちの人と付き合いたい。心意気とか優しさとか友情とか。ウエットなもの。
でも、そのウエットティッシュを自分に差し出してくれる人たちのクラスター。
だからこそ、この2冊が世に出たことに心から「よかった」と言いたい。
そして手に取れたことにも「よかった」と。

各人の自問自答の描写。そう、日々自問自答し決断する。でも、それを極限状態でも冷静にかつ全うできるのか?フェアに。
この2冊を読めてよかった。そして改めて真実を知るためのリテラシーと、その前での立ち居振る舞いを当たり前に出来る大人になりたいと。

じんちゃん!ありがとう!
我那覇選手!応援します!

さー!飲むぞ!



P.S. 今トップの本の状を見るべくアマゾンの殉愛のページへ。平均の星は2つ。678のレビュー。463のレビューが星1つ。少し目を通して気分が悪くなった。真実とか上で書いてた己を。。。尊敬するわ!恥を知れ!こんな糞日本に誰が帰るかボケ!!!

木曜日, 11月 13, 2014

映画 Interstellar を観てきた。日本では22日から公開のようですね。

ネタばれ云々はしません。ただ宇宙や最新の量子力学や素粒子といった類のもの。
ダークエネルギーとかビックバンとか。超ひも理論とか。
ちょっと知っていると面白く見れるとおもいます。そして僕はとても素晴らしく映像化していると思いました。

存在とかまたそんな話になります。でもね、この世に生きてることを人との関係性でなく宇宙とかのちょっと大きなビューで視るのは意義があるかなって。
映画の中のあるシーンで頻繁にかつ効果的に出てきた言葉。

「time is relative」

相対的な時間。でも絶対的。でもでも主観的。
時間をどう感じてますか??

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何となく線を入れました。区切り!?

面白い夢をみました。人が死んだり事故に遭ったり的な夢なんですが、厳密に言うとデジタルとアナログの境界の夢でした。

流れてる時間が寸断される。その寸断面に向かい合う時。
すごい情報量。
流れているものを区切った瞬間にフローしてた情報を受け止めないといけない。

自分の中でこれがスゴイ発見で。
受け止める。流れを。

「すみません、ここまでどう行くんですか?」
と、フローが止まった時に何処とか誰とか色んな詳細が発生する。
それは全て情報と言う名のフローとぶつかった瞬間。

研究をしていてある側面を観察する際、観てるのは流動的な動的な部分の側面。
その側面に向き合うから情報を感知する。
何か切り口を作るという、アナログからデジタルというかゼロサムと連続性の立ち位置。切り口を入れるセンス。
でも前提として忘れてはいけない動的感。

ここ数日そんなことに思い巡らせます。見極めと耐久性の狭間の決断。
しびれるねー。

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 何かを感じたり知ったりって、自分の流路から離れて他のフローを感じることかなって。
だからこそ時間は流れる。それぞれの速度をもって。
その速度感。
相対的な時間。
何か大きな大きな溝があるそうな。
どんな溝!?
それが分かった時、きっと快適な人生なんでしょうね。
でもそのフローも相対的みたいな。


ふふふ。だから生きることを体感しないといけないんですね。
この急に来た寒さはブレーキかアクセルか。
なーーーんて考えるヨッパライ。
これもまた偶然。

宝くじでも買うか!?


金曜日, 11月 07, 2014

ごにょごにょボソボソつぶやきサブローシロー

何かが起きる時は連続的に起きたりする。朝から夜更けまで。
その一日を振り返って「あー、カオス」だったなって。

でもその反面、朝に起きたトリガーによってその日のカオスが決まったような気もする。
その時その場所そのタイミングに出くわすことは一連の流れの出来事だったりする。

ここでこれがあって、そこでそうなって、あのときああ言ったからといった具合で。
これは縁起というか巡り合わせなんだけど巡って来たというのかな。

ある一言を空気中に投げたあとに起こる反応。それは瞬時だったり時間差だったり。
そこでその一言、あるいはキーワードに言及したことで始まる物語。

ハッピーエンドかバッドエンドかは時間の経過に身を委ねないと見えてこない。

まぁ、最近そんなことを富に感じるのですよ。
あっ!はっ!みたいな。

それを最大化、時に最小化するために物思いにふけります。
でも、ふけってるだけじゃ何も起こらないんですよね。

この数日アクションと言うか行動ということを考えます。
出来る。知ってる。だから後回しに。この怠惰の王様的行動の影響を切に感じます。
ルーティーン。このルーティーン。
ハードルを自ずと上げる、いや上げておく。いや、当たり前にしておく。
慣れですか。慣れたらいんですよ。だって人間サボりたがり。

なぜサボる。面倒くさいとか、やらなアカンことあるとか。
その通りなんですけど、僕のライフはフレキシブルを前提にしてる以上、その言い訳はダメなんですよね。言っちゃえば。言っちゃった。

あーーーーーーーーー。
最近学んだことを踏まえたら、上手に環境に変化を与えます。それが行動を促すから。

何が言いたいかと言うと、これを気付く機会も偶発でこれを記すのも気分。
ねー。規定された現状を可能な限り見極める目。
でも、それするには飲んじゃうよねぇー。

今日あった一番のハイライトが何故起きたかと辿ってみると思いですよ。
そして先日に見た夢の意味とか。

まぁ、明日も同じ作業から現状との違いでケタケタやりますわ。
つらつら。意外と。。。書けるね!!笑
はい!終わり!行きつけここで閉店!15 min!

火曜日, 11月 04, 2014

読んだ本・その35(178)

弱いつながり 検索ワードを探す旅 単行本
東 浩紀  (著)
幻冬舎 (2014/7/24)

僕にはいつくか鉄板とまではいきませんが、うけるネタがあります。そしてそのほとんどが旅に関するものです。

旅とは非日常を体験する時間として前から位置づけていて、自分でも可能な限りその時間を作りたいと思うのでした。

今回この本を読んで、旅が持つ新たな側面を実感ししました。果たしてその側面はすでに僕の旅の中で実体験を通して日常に還元されているものでした。
でも、意識と無意識の狭間。今後これを意識的にすることで僕の引き出しは格段に増えるのではと、いつになるかわからない次回の旅に想いを馳せるのでした。

敬愛する東さんの新刊。読みたくて読みたくてついに手にできました。キーワードは先に述べた旅とネット。

ネットが生活の大分部において果たす役割が大きくなった現代において、よりよく生きるための方法。それを気付くための旅という行為。
手段として。ネットを扱う上で発生する言葉との接し方。その言葉と深く関わるリアルな社会生活と存在としてのモノ。

環境として。購読している佐々木俊尚さんのメールマガジンで取り上げられていた、小笠原諸島に移住した写真家の人の言葉
「自分を変えるには、住む場所を変えること、一番要らないのは、新しい決意」
そして現状が現在の自分を規定するという僕の好きな言葉。

僕の日常で大事な要素として存在する、色んな人と偶発的に出会うことによって起こるケミストリー。

こういった僕の頭の中で点でバラバラで存在した考え方や感じていたこと自分の意見といったものが、この東さんの書によってふわっと輪郭を浮かべたように思いました。

結構僕の人生おもろく過ごせてますやんって自己評価高くしてしまいました(恥)。
旅かぁ。最近自分のスタイルで旅をしていないので近いうちに出かけたいと思いました。どこへ??
ダーツでも投げますか!?

月曜日, 10月 27, 2014

勇気をもって

ごめん!

ごめん。。。

すみません

I'm sorry

偶然に意図的に人は謝らないといけない時があると僕は思う。
でも逃げる人もいます。言い訳から。
言い訳はみんなします。いや、出来ます。

でもそれ以上に非を認めること。

置き換えましょう。謝るとき非があります。謝られた人に非があります。
その非ははたしてどれだけの非なのか。
非よりも声に出した勇気の方が大きかったりしません?
人に求めるよりも自分が向き合う時。

ごめんなさい。

聞く側として。大丈夫と言いたい。
いう側として。心から詫びたい。

そのケミストリー。死ぬわけじゃないし。そこは笑おう。
フェアな人間関係であるために。健全であるため。自分が正直に生きるために。

読んだ本・その34(177)

芸術原論 (岩波現代文庫) 文庫
赤瀬川 原平 
岩波書店 (2006/5/16)

キーワードは偶然。これに尽きるでしょう。

書の前半に偶然をキーワードとした出来事の数々が紹介されます。それを読みがら「おもしろいなー」と思う反面、タイトルとどう関係するのだろうと。

果たしてそれは杞憂に終わったのだった。
観察と気付くという人間に与えられた好奇心と言う名の癖とでもいうのだろうか。
それを如何に鋭敏に深く出来るか。そこからアートとの素が生まれてくる。

だから芸術原論であり。偶然の出来事の紹介なのである。
時に人は鈍感である。かと思えば敏感でる。
そして細かいところまで気付く人まったく気にしない図太い人。

偶然と言うのもある種の感受性であり才能であり運だったり。
それは個人差により、その差異がアーティストを芸術家たらしめる要素なのだろうなと。
読み進めるうちに響いてくるのでした。

物凄く本質を突いたコメントも出てきて、相対化が好きな僕は自分のサイエンスと重ね合わせて固まったりもしました。

読み始めた当初、偶然に僕も翻弄されていました。なぜならたまたまた訪れた書店でsaleで売られたこの本。本棚に並んでいたら手にしていたか分かりません。そして偶然の紹介の中で出てくる日航機墜落事故の記述。そうその年阪神タイガースが日本一になった年の文章。その墜落事件に阪神の球団関係者が不幸にも被害者として関わったこと。そのタイガースが日本一をかけて日本シリーズを戦っている現状。

これで結構ふわーっとなっていた昨日。
著者である赤瀬川原平さんが他界されました。
yahooのニュースで見たとき目を疑いました。こんなにも固まっる経験はありません。
そして、この本を読み切ろうと向かい合ったのでした。
赤瀬川さんとの対話は本当に楽しかった。そして心に響ききっと新たな偶然を生んでくるのだろうと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。献杯。

土曜日, 10月 25, 2014

はい!ここにますよー!

先日飛行機に乗り遅れた。
乗り遅れた事実は当人しか知らなくて、他人に知らせない限り誰も気にしないし知らない出来事。
その前に、僕が旅に出ることを知らない人にとってそれすらも意味のない一つの出来事である。
ところが、この状況で現実の僕の在処を把握しているのは僕自身と空港会社だけである。
僕が旅程にあることを聞いた人も知っている人も、飛行機に乗った機上の人になっていると思っている。
でも実際は僕は空港でビールを飲んでいる。

存在・実在

今僕は世界の中でひっそりと消息を消した存在だー!と思って一瞬何が何だか分からなくなった。
だれがどこにいるか。位置情報。GPS。
生きているという証明は自分が一番分かっている事実なのだが、他人からの認識によって良くも悪くも規定されている現代社会があるのかなーなーんて、ふと落ちたエアポケットで思いふけった。


*******

諸事情もろもろで完オフを取った。
その際、睡眠それも2度寝と言う最高のひと時と向かい合った時のこと。

独り言。まぁ、しますよ。仕事中・サッカー中・飲んでる時・家に居る時。
実際に音として発する言葉。
それとは対をなす、心の会話。心の独り言。

でも、世の中のすべての人がこれをしているかは分からないし、やっていたとしても比較が安直にできない。
それを今回は置いておいたうえで。
その心の独り言は意識を働かせることで振動とし空気中に放たれた音とそての独り言になる。これは耳と言う器官を通じて脳内で理解される。
さて、こころの独り言はどういった音をもって脳・身体が認識しているのだろう。
その心の独り言には声の強弱高低からものまねチックなものまで。
記憶としての音。人の声やフレーズ。脳内で再現する。まるで耳元でささやかれているように。

ながなが理屈を並べたけど、要は自分は何をもって喋ったり・聞いたりしとるねん。

今、小さく「あー」と声を出した。実際に喉を使って。
今、「あー」と心の中で呟いた。自分にしか認識できない声として。

はてさて、脳と耳と口と身体の協奏曲ですか。
現実・実際・actual・realってなんぞや。


*******

でも今、呼吸をして生きているんです。それを自分は知っている。
なーーーーーんか、なんとなーーーーーーく、面白くない!?
って思ったのでした。
さて、もう一杯飲むか。

金曜日, 10月 17, 2014

読んだ本・その31-33(174-176)

私鉄探検 (ソフトバンク新書) 新書
近藤 正高  (著)
ソフトバンククリエイティブ (2008/6/17)

予てから鉄道の沿線文化やその発展などには興味があって、過去にも何冊か寺社仏閣へのアクセスとしての私鉄の発展、宗教ツーリズムに関して読んでいたのですがこの本はもうちょっと大きな視点から私鉄が与えた影響を考察していて面白かった。アニメのキャラ・土地開発・観光・スポーツと文化などなど。その電鉄会社が何を軸にして今まで生きてきたか。生きる上での軸って大なり小なりみんな抱えている。それと同じように、それぞれの会社の生き様というか何を核にして生きてきたかを見ているようで妙に私鉄に親近感が湧きます。こういったのが人それぞれ目的地にどの電車やどの路線を使うのに影響したりするのかなと。あと各社を含め鉄道社会の合併や変遷の歴史を辿るときに新たな「そうなんや!」があって面白かったです。この本の執筆時、スカイツリーは完成しておらず新東京タワーと表記していたので、この本の後にもまた同様に色々な変がすでに起きているんだろうなと、時間の流れと開発や変化の速さを感じるのでした。


ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975)) 新書
三浦 俊彦  (著)
岩波書店 (2005/10/20)

サイエンスの文章を書く作業をしていた中で、この本ともう一冊が構成やコンセプトにとてもとても大きな影響を与えました。読めたことに心から感謝します(も一冊はまだよみきれていませんが)。ラッセルと言う哲学者の思考の変遷です。なので難しい部分も多々あります。読んでも全く反応もない人もいるでしょう。僕にとっては提示される問い何度も何度も「なるほど!」とさせられる一方で、全く他分野の話題から(特に仏教的な概念から)以前に振れたことのある問いに再度触れたり。「そう、それは僕も思ったことある!」ってのがあったり。本と脳みそと執筆中のサイエンスの文の間をぐるぐる時にくらくらしながら試行・思考してました。
主な問いは言語や存在・実在へのアプローチ。その中で分類という人による作業。この人によるが認識や概念と言った差異が生まれ。それを解消するための定義の方法。そこに関わる表現や分析。西洋的や東洋的な考えの差異が影響したり。書いている今も堂々巡りをしているようです。というかこの堂々巡り自体が本質で、この世と言うのを人というモノが自身の都合のいいように無理から理解を加えているとでも言うのか。ここら辺がどうも仏教っぽくなってしまう。哲学的出ることは科学的かつ時に宗教的なのかも。この3つはそれぞれ違うようで同じで。。。あー、またくらくらしてきますね。
でもこういった本を読むのも楽しいですよ。まるで禅問答みたいですが、そこに何か感じるものがあると思います。
ラッセル先生は僕のレビューのコンセプトにどんな批評をくれるのかな。。。なーーんて。ちゅうかまず英語がボロボロでそこからか。。。


<生命>とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術 (講談社現代新書) 新書
岩崎 秀雄 (著)
講談社 (2013/2/15)

バイオロジーをやっている僕はこの本に引き込まれるように読み切ってしまいました。生命ってとてもややこしいテーマを一般の人でも分かりやすいように書いてあるなと感心し、アカウンタビリティーとはこういう事かと思い知らされました。
2つの視点で読んでいました。科学をしている自分と、生命といった現象に興味がある素人の自分。今の科学は分野が細分化されているのもあり、ここで扱う人工細胞を作るといった話は全くの素人的な関心と共に読みました。時々知ってることが出てきて「おー、それは分かる!」となる自分。これが知を得る際の喜びなのではと再確認ですね。そして自分のやってることに当てはめてみることができる楽しみも。
発見をするためのアプローチの記述が出てきますがかれはまさに前に読んだ「ラッセルのパラドックス」にて議論されていたそれそのも。つまりやっぱり科学的であることは哲学的であるのだなと。そこに生命と言う問いを扱う上で避けて通れない倫理の問題。そして生命現象が持つ美しさ。アートとしての側面。そしてそれを表現するということ。結構大層なことを仕事にしてるもんやなぁと。
最終章で出てくるサイエンスとアートの融合したプロジェクトの数々。それをやっている人たちに羨望の眼差しを送らずにはいられません。
この書を学会に赴く前に読めたこと。ラッセルのパラドックスの後に読めたこと。これもダイナミックな意味合いで生命の不思議ですね。サイエンスをできる喜びに乾杯!って飲むのかい。。。

月曜日, 9月 29, 2014

パニックとパンデミックは友達です

文章を書くのはある意味で一つの習慣であって、継続するだけで慣れてきて上手くなるきっかけを掴めるのだろう。練習いうのはこの手の継続をある意味強制力を持たせるために開発された言葉なのでないか。そこにセンスやら才能やら万人の尺度では測れない要素が入り差が生まれ淘汰のプロセスが始まるに違いない。そのこに専門性や特異性を持たせなければ、なんでも継続だけで平均点以上のことは出来るのではないか?ただ時間と言うこれは万人共通の尺が割く時間を拘束するのがやっかいだ。はてさて。

なーんて長らく書いていなかったのでわーっと書いてみた。
ははは、これを同じコンテキストで英語で記せ。。。
それで色々困っているんだよ!

英語の文章に慣れるために書き続ける方法が浮かび、上手く行けば2年ぐらいは持つかもとおもったが、ネタが切れたら終わりじゃねーか!ネタ作るには時間が要るんだ!それで結局書けなくなる。
この思考実験を調子乗って書いたのがこのエントリーの緒言である!

それはさておき。

もう遠い昔のことに記憶される鳥インフルエンザ騒動。
当時の厚生労働大臣は現都知事の桝添さん。当時の対処の仕方を思い出して東京でのデング熱の封じ込め。。。おっと!

パンデミック的な感染の仕組みをひょんなきっかけで経験しました。内容は書きません。
でも、これが人が死んだり病気になるプロセスだと思ったとき。ぞーーーーーっとしました。

感染経路なんて分かった時には感染中もしくは手遅れ。
無知こそ最大の失態。恥てやりすごすは事態を拡大する。
おかしいとおもったらすぐに行動すべし。

今回は幸いほぼ僕の回り制圧できましたが、まだしばらくはハイアラートかな。
というか、アレルギーやウイルスが広がるのと一緒でどこかで爆発的に増えたらおしまいなのだと思う。

爆発を抑えるために。臭いものには蓋?恥を知れ恥を!
予防学。いやー想定外でした。上り坂・下り坂・まさか!

みなさんもお気をつけ下さい!

土曜日, 8月 16, 2014

バイバイきーーーん!

人に出会うことはその人との別れをすでに含んでいる。
その出会いは刹那であり時に一生のものとなる。
その別れは一瞬であり時に今生のものとなる。

人と出会う際に抱く感情はときめきや驚きといった過去・現在との接点から昇華する。それが一時的が恒久的かは本人次第である。当然相手次第でもある。

人と別れる際に抱く感情などは過去・未来を包み込んで喜怒哀楽を基に心に刻まれ思い出になる。関係性が深いほど財産になり、別れは新たな関係性を生み出す。

出会いも多い。でもそれは別れも多い。その反面出会いを生む。メビウスの輪。その味はイカリングだ。

今日さよならを交わした彼女。たくさんの笑いやアクティビティを共有した彼女。新たなキャリアアップのためにここを経つ彼女。チームとしての彼女。友達としての彼女。一切恋愛対象としてはぐっとこなかった彼女。

彼女にとって僕はどんなおっさんやったんかいな。。。

僕を含め送る人たち。の人たちの別れもすでにある意味で包括されている。
相手が先が自分が先か。卵が先か鶏が先か。

good luck

この今という時間に乾杯、そして完敗。

金曜日, 8月 08, 2014

読んだ本・その30(173)

博士の愛した数式 (新潮文庫) [文庫]
小川 洋子 (著)
新潮社 (2005/11/26)

単行本を手にしたのはこんなにも前だったのかと出版された日付をみて感慨深くなりました。正確な日付はわかりませんが05年から06年の間に日本に一時帰国した際に手に取ったことは確か。

ラジオ番組の好きなパーソナリティーがお勧めだと。そして人生で始めて自分の金で読みたいと思って買ったこの小説。当時も読中・読後ずっとこのタッチの文章に触れていたいと思ったのは鮮明に記憶しています。

あるひょんなきっかけを経て、もう一度読みたいと文庫を購入。当時抱いたのと同じ感想はもちろんですがそれ以上に深く深く心と脳にずっしりと横たわる喜びや幸せという類の感情。
それは博士の語る数学と数の美しさに対して素直な感動と尊敬を持てるようになった現在の自分。

ライフサイエンスを仕事にしてる以上、いつも感じる生命の奥深さや複雑さ時に見せる乱雑さ。知恵と知識を組み合わせ小さな脳から仮説を立て答えを求める作業。それは現象として僕の前に立ち尽くす。その現象を定義という段階で物理学や数学が顔を出す。その数という存在。無限や普遍という性格を持つ彼らは神なのかそれと点なのか空なのか。

約10年前に手にした時には思いもよらなかった新たな世界に少しの驚きとそれを教えてくれる博士への敬意。アカウンタビリティの必要性が謳われる昨今の科学で、こんなに数字だけで人を魅了することが出来るという衝撃。もっともっと探究心もって今ある目の前の問いに挑まねばと思ったのでした。

さらに10年後この本を手に僕は何を想うのだろうか。。。

月曜日, 8月 04, 2014

らんだむ。。。ガンダム!?

真面目。
遊びごころ。
欲。
真理。
計算。
偶発。
閃き。
煩悩。
思い上がり。
謙虚。
決断。
飲み込む。
強引。
あきらめる。
継続。
切れ目。
思い入れ。
無関心。
理性。
本能。

よくよくよくよくよくよく考える。。。
くよくよくよくよくよくよ考える。。。

生。
死。

思い返すと。
思い出すと。

今。過去。未来。

感謝。忘れずに。進む。人生。

土曜日, 8月 02, 2014

読んだ本・その29(172)

ビッグデータの覇者たち (講談社現代新書) [新書]
海部 美知 (著)
講談社 (2013/4/18)

巷で噂のビッグデータ。使われる用語を含め導入書としてはとても良いのではと思いました。
僕自身はこの分野に興味があり色々とフォローはしてましたが、やはりちゃんと書籍として読むことで理解が深まりました。

簡単に言ってしまえばビッグデータの祖Googleの解説から始まり、Apple, Facebook, Amazonそしてtwitterといった各社のビッグデータとの関係性を分かりやすく解説してあります。そして、野球、カード詐欺、gmail、選挙に医療などなど、いかに自分たちがビックデータを利用しつつ利用されつつこの枠組みに取り込まれて日常を過ごしているかを知ることになるでしょう。そしてスマートフォンの今後とストーカーと言う存在の話は新鮮でした。まぁ、話のネタから考えさせられる話まで、さすがビックデータの本ですよ!

僕自身が肝に銘じないと思ったのは文中で出てきた「データというものは、量をたくさん集めていけば、どこかの時点で質に変わる」という一文。
頭をガツンとやられましたね。そう、その通りなんですよ。そして過去にこれと同じ経験した事があるんですが、当時はその質になったタイミングで自分があることに気付いたことを評価していた自分がいました。その前の収集があってこそ。あー、実験もっとしないと。最近のズボラを心から恥じたのでした。

あと2013年現在は起こっていなかったPRISM問題を予言するかのような内容もあって「おーーっ!」て感動したりもしました。読み返すとうのも刺激があって面白いですね!

さて、この文章も解析されるのだろうか。結論は。スパム!ゴミ箱行きかな。。。

火曜日, 7月 29, 2014

片付けと整理整頓

パズルのように結構な数のピースを改めて眺める。
そこから物語と言えば言い過ぎだが、ロジカルにかつエキサイティングな話を構築するのがある種仕事でもある。
見つけるだけ。書くだけ。でないのがこの仕事の胆だろうか。
と言いながらほかの職も同じような側面を抱えているは重々感じている。

そのパズルたちの数とピースのばらつきにちょっと面をくらってしまった。
絵にかいた餅とはこのことで、もう餅を味わうところまで頭が勝手に先に進んでいた事を知ってしまった。
全然全然うまくまとめれない。
まとめれないというより、まとめるべき優先順位・ルールが存在しないと言うべきだろう。

ちょっと困り果てながら。求めすぎているかも。過大評価してるかも。まだスタートに立ってない?など冷静に状況を分析し始める本人がいる。

要るか要らないの判断。この話にはこれは入れない方がいい。仲間はずれになって一人宙ぶらりんの数字や表や曲線。捨てると言えば語弊があるが、これは世に出すためのリストラ。でもアフターケアを考える。だってそれは十分な重さをいつどこで起きるかわからないに連鎖反応のために持っているから。
新成人に送るスピーチのようにそのモノたちへビジョンや意義を吹き込み社会の現実とすり合わせる。

そんな作業をしてる自分もそんな社会に組み込まれたピースに過ぎない儚さは心にしまって、今を最大限に楽しむべ目の前の風景にメスを入れすべてを把握すべく格闘している。医学部生が将来の希望に期待を抱きながら初めてメスを持つのとは似ても似つかない。でも医療や科学というETの点のような接点でなぜが関連があるように錯覚する仕事観。

一見おなじで、全く異なるプロセス。それを踏まえた連続と不連続(今日から読みだした本の中に出てきたワード)の相関に頭をくらくらさせながら(酒のせいでないことを祈る)、この数か月のズボラを恥じるのである。

実際に何かをすると言うこと。それはいったいどいうことなのだろうか。
ただ、やってるふりをごまかしごまかし繕っていたツケを今から払うのだと。
そして、それを見て見ぬふりをしていてくれたであろう番頭さん。明日しれっと会う時に平常心と共に感じるいい重圧を昇華させようではありませんか。

あーーーーーーー。はーーーーーーーー。
絶対酒臭い。。。

金曜日, 7月 25, 2014

読んだ本・その28(171)

パテ屋の店先から―かつおは皮がおいしい [単行本]
林 のり子 (著)
 アノニマスタジオ; 新装増補版 (2010/11)

料理・調理や食材・素材といった食文化を含めた多岐にわたる関連語句。
それらの言葉は僕たちにその意味を伝えてくれる。そして僕たちは脳でそれらを食し味わいながら解釈し理解する。
でもそれらの言葉によって隠れてしまった本質的・根源的な歴史的要素。

立ち止まって「待てよ」って頭を使う作業が乏しくなってしまった情報がフロー化した現代。
まるで小学校の時の国語の時間。英語を習い始めてすぐの時。辞書を開いて意味を求める作業を、やさしい文章で問いかけてきます。何か忘れていたものを思い出すといった具合に。

そんな素敵な本。なんと元は1987年に出版されたもの。これは新装増補版で20年の月日を経て2010年に新たに息吹を吹き込まれた本でした。

落語ではないですが、古典というのは廃れない。それを思い知らされたのでした。
90年前半の生化学の論文たち。それにも同じことが当てはまる圧倒的な知への探求を感じる時があります。温故知新とはうまくいったものです。ちょっとそんなサーチをのんびりしたくなりました。

僕の文も古くなりますがこのように生きるのでしょうか?カビがきれいに食べてくれるんやろうなぁー。。。

月曜日, 7月 21, 2014

読んだ本・その27(170)

炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限からみた生命の科学 (光文社新書) [新書]
夏井 睦 (著)
光文社 (2013/10/17)

なんて面白い本だろう。頭を殴られたような。機会があれば是非読んでください。なんと言うのでしょう、これは教養本です。

実際に経験した筆者の経験を下に仮説を立て、実験(自分を使って、人の変化を見ながら)し根拠を調べ、さらに今の食生活に疑問を投じることも含め文章化する。
あー、科学者とはこうあるべきだ。そうありたいと思うんですよ。なので特に感銘したのかもしれません。

ここで出てくる科学的根拠の大半は専門家じゃないと理解できない類のものではなく、原理的には高校生の教科書レベルで十分フォロー出来る。
この本の胆は学問の横断的リンクとでも言うべきでしょうか。多岐にわたる話(論拠)が隙間を埋めるかのごとくそれぞれがそれぞれを補完する。なんて理想の書なのだろうか。

そもそも的な実体験からスタートして、見聞きしたことある文化の話、哲学的問、進化論、生態学、考古学、医学、生化学、世界史、文化人類学、動物学、植物学。。。
もう多岐にも多岐の分野のオーケストラですね。
しかも圧倒的に「そうか言われてみれば。。。」の話ばかり。
ここで敢えて「罠」という言葉使いたい。
医学の罠。サイエンスの罠。常識の罠。もう常識への問いかけです。
言えます。食生活変わりますよ。いや、それは言い過ぎかな、でも絶対に意識します。肉食であれビーガンであれベジタリアンであれ。どんな人でもそもそも僕たちヒトと言うものが備え持った生きるための機能を意識するから。

過去に読んだ本たちとの接点もたくさんありました。チョコレートの世界史や地球を救う農業などなど。

面白いのが、人にさんざん変わっているオカシイと言われてきた僕の食・飲み生活。
この本をもって僕は全くおかしくない。本当にこの本のように僕の身体が適応してしまったのなら。そして、そうなら僕はこの自身のシステムを最高だと断言できる。

書ききれない程に脳を刺激します。是非!
えっ、なんでそんなに推すのかって!?それは。。。
自分の変わった生活を変わってないと完全に理解してもらえそうだから。。。
ってやぱり自分は変なんやん!!
って知ってますよ!でもそれが実は普通なんです。。。うーーーーん、読め!!

木曜日, 7月 17, 2014

おぬしだれや??

昨日ふと自分でも考えていたこと。そしてある会話の中で同じ事象の話になった。

友人を3つにカテゴライズできるということ。

A)普段会う時もう酒が入っていてほとんど素面の僕をみた事がない集団。
B)基本的に僕の素面と接する集団。
C)両方を均等とまでも行かなくともそれなりの頻度で会う集団。


A)はもうプライベートの関係。一緒にワイワイするひと。
というのも僕って仕事場を離れたり運動をしてる時以外って基本飲んでいる。
B)は職場やサッカーなど。
C)はA)B)が被っている友人。

本人は常に自分でありそれ以上それでも以下でもでない。でも接する人はきっと印象違うんやろうなぁー。

じゃー、本当の僕ってどれ、これ、あれ、それ!?
かしこまりましたー。

金曜日, 7月 11, 2014

読んだ本・その26(169)

美味しんぼ 110 (ビッグコミックス) [コミック]
雁屋 哲 (著), 花咲 アキラ (イラスト)
小学館 (2013/8/30)

手元にある単行本「美味しんぼ110巻」。今は遠い過去のような話題だがこの本(漫画だとは思わない。含んでいるメッセージは切実だから)を読んで、僕が定期購読している津田大介さんのメルマガ“メディアの現場 vol123「美味しんぼ」はなぜ紛糾したのか”を読んで自分の感じたことを合わせて、消化して記しておくことは意義があるのではと思ってつらつら書いてみようと思う。

まず手元の美味しんぼにはメディアで話題になった鼻血の描写は含まれていない。それまでの話題。主に風評被害・現地で暮らす人の苦悩と葛藤などが描かれている。大きな問題提起として、郷土料理が食べられなくという事実があると思う。放射能で汚染されてしまった土地。そこで育つ郷土料理の核となる動植物。それらが安全だと証明する苦労は風評被害で自明なため、この事実はあまりにも重すぎました。

津田さんのメルマガは問題になった鼻血の場面の前後に起因する描写を、津田さんたちが実際に取材した実感に基づいて比較・議論したものである。この内容は以前ここでも紹介した「福島第一観光化計画」に収められているものと被るものであります。

そう、じゃー福島の真実って何??ってこと。

鼻字の描写には議論の余地はあるけど、それまでに描かれている真実にはちゃんと向き合わないといけない真実がある。
津田さんたちはフェアな立ち位置として「鼻血問題」と向き合った。そんなメディアを定期購読できていたことを誇りに思う。
でも朝日新聞社が出しているプロメテウスの罠しかり手元にある美味しんぼだったり、本来僕たちが向き合わないといけない筈の問題以外のところで、盛り上がり冷めてはないか?

今朝も福島で揺れた。震源の深さ10キロだったと記憶している。

待ってくれないよ。待ってくれてるんじゃない?もっともっともっともっと本気で向き合わないと駄目じゃない?鼻血のあった美味しんぼという認識しかないんじゃない?この福島の真実の回一回でも見たことある人どれぐらいいるの?福島含め東北に震災後足を運んだ人はどれぐらいいるの?被災地の物品とかどうしてる?読んでるあなたはどう?何かしてる?何もしなくていいと思ってる?世界中で悲劇はいっぱい起きてるけど、日本国内でもあるんだよ?

僕はもどかしくて悔して仕方がない。
だからこそ自分にできることをします。自分ができる範囲で継続的に。
なにもそれが偉いとかそんなんではない。色んなものが永遠に続かない世の中だからこそ。

ダブレットを手にして、作業ができる場所が広がった弊害の顕著たる投稿。でもこれもいち記憶として良しとしよう。。。何様!???笑

読んだ本・その25(168)

デザインのめざめ (河出文庫) [文庫]
原 研哉 (著)
河出書房新社 (2014/1/8)

オリジナルの本は2001年に出版されたものです。それが文庫本になって今年の頭に新たなエッセイを加えて10年以上という月日とともに再登板です。

登板という言葉を使ったのは、この本を読むと至る所に宿る「視座」「モノの見方」という点が今読んでも圧倒的な面白さとともに的を得ているからです。

2001年といえば大学という空間に自分の中でようやく身を置くことができ華やかなキャンパスライフなどと絵にかいた餅をホクホク食べていた時です。
そのころにこんな本を手に取るなんてミジンコ以下の小さい種ですら頭に無かったと思います。

一つの話はページとして3ページほど。その中に「なんて面白い視点で物事を捉らまえるのか!」そしてキレのある文末のオチ。
狐に抓まれたように読んでしまいます。が、それは大きな罠。一つ一つを噛みしめ味わい落とし込まないとこの本の醍醐味はないのでは。

職業上こういった視座は意識していますが、切込みがシャープなんですよ。
そうそれがデザインという、人の裏をかいたり感動を与えたり気持ちよくしたり。
つまりは無意識の意識化。
つまりつまりは万人の視界に埋もれている盲点にニヤニヤできる楽しさ。

サイエンスとデザイン
デザインとサイエンス

ニヤニヤできる日が来たらと図や表を眺めたいと思います。
デザインのめざめ。
目が覚めるようなタイトルだと気づきますよ!