土曜日, 6月 20, 2009

ライフ

小さい時、僕の両親は特に小・中学校当時、昆虫やカエル・カメに熱帯魚そして犬と「動物」を飼うことを許してくれていました。


飼っていたカマキリで遊んでいた時。籠から逃げ出して小便かけてきて、羽をワー広げて戦闘態勢に。
上からカッポって籠をかぶせてやりました。

クワガタとカブトムシを友人との間で戦わせた時。カブトムシが角を使ってクワガタを投げ飛ばすのを想像して友達とみていたら、バキバキっとクワガタに挟まれるカブトムシ。

ゼニガメ君。冬眠したまま起きなかった。

アフリカツメカエルの水槽に、メダカを入れて「食べられへんやろ~」。翌日全滅のメダカたち。

カブトムシを飼って「幼虫→さなぎ→成虫」をおかんと一緒に3年連続孵化させたり。まさに我が家のカブトムシ!!

最後の方、ボケて同じところをくるくる回って首輪が絡まって死にそうになった愛犬チビ。


今思うと色々な思い出があります。自分で世話すると必ず言いますが、結局はおかんに頼る。で、怒られる。反省する。のサイクル。
そして必ず死に直面します。
庭の植木にたくさんの昆虫を埋めました。大学3回生の正月にアルバイトから帰ったらチビが天国に行っていました。
やっぱり居なくなると寂しい。泣いたこともありました。
ちゃんと自分で世話しようと誓いました、でも結局は…。情けない苦笑

僕は動物の死を通じてたくさんの経験をしてきました。




前に引用させていただいたs_maeさんの週間ダイジェスト。なんでいつもコメントを残したくなるような記事を書かれるんでしょう!?ジェラシーー!!笑

臓器移植法に関して記事を書かれていました。
これは本当に難しい問題だと思います。
詳細は色々なとこに詳しい記事があったり、報道もされていると思うので敢えて引用しません。

臓器移植により命が助かる人。
心臓が動いている限り生きて欲しいけど死と認定される人。

どちらの立場に立つのか!?
両者の意見を汲み取った案は存在するのか!?

参議院での議論と国民的な議論に期待します。




今回の法案での争点には「年齢」と言うがあると思います。
対象となる15歳以下の少年たち。

その年齢当時。僕の場合は、たくさんの昆虫たち・動物たちそしてチビが「死ぬ」ってことを教えてくれた気がします。

その時深く考えた記憶はありません。僕にとっては「死んじゃった」そして「悲しいな」という出来事です。
でも必ず「もっと世話したらよかった」「もっと観察したらよかった」などと言った感情が湧いたのを覚えている。
「悲しい」・「寂しい」とか「なんで死んでん!!」そんな体験が無意識のうちに自分の中で消化されていたのかなと、今考えたりします。


そして、今の少年たちに対して。

「君たちはこのことに関してどう思う??」
「自分の臓器を提供するってどう思う??」

こんな授業をしてもいいんじゃないかな??
だって当事者やもん。
きっと、ぼんやりとでも「死」や「生きる」について考えると思う。


こういった事が「自殺」とか「いじめ」とか少年が起こす事件への最大の抑止力になるんじゃないかな。
と、筆者は考えます。

生死観というものに対してきっちり考えるいい機会では??
文部科学省の偉いさん、学校の先生どうですか??

2 件のコメント:

s_mae さんのコメント...

小林よしのりは蟻の行列から死生観を学んだって書いてたなw
それを思い出した。

絶対食いつくネタだろし
向こうにいたんじゃ日本の温度を感じとれないだろうと
思って記事にしてみました。

予想通り新聞でもヤフーの感想でも
2ちゃんでも意見は二分してたよ。
やっぱデリケートなんだよね。この問題は。

デリケートなだけに教育の場に持ち込むのは危ないなぁって感想です。
教壇に立ってる先生には怒られるだろうけど、
あまり現場を信用してないんよね。

私自身、中学の社会の先生が偏ってたから。

じゃあ、他の方法はどうかと言われたら
もう家庭での教育しかないのだけど
核家族化しちゃって、死というものが身近にないからね。
私なんて人格形成の時期には祖父祖母ともまだ健在だったし…

とは言え、廻り回って今度は曾爺曾婆あたりが
死というものを教えてくれるじゃないかな?
なんて思ったりもしてるわけです。

駄目だ。
これは書くよりもスカイプしないと表現しきれないな。

Yoshi さんのコメント...

>s_maeさん

コメントありがとうございます!!

>あまり現場を信用してないんよね。
分かる気がします。両方の立場を説明できる人材が居るのか!?とか疑問が残りますね~

僕も幼少期は拡大家族だったので、仰る意味が分かる気がします。

週末にでもワイワイ話しましょう!!

僕たちの議論が日本を動かすかもですよ!!笑