火曜日, 11月 03, 2015

34冊目2015(220)

南海ホークス ナンバ栄光と哀しみの故郷 (追憶の球団)
広瀬 叔功 (著)
ベースボールマガジン社 (2014/06)

今年の日本プロ野球の覇者ソフトバンクホークスの前身、というよりルーツ南海ホークスの誕生から消滅までの記録です。タイミングもあってか歴史の上の点と現在のみを生きる点・今を喜ぶファン心理的な点が交差しているようで感慨深く思いました。

競馬の場外馬券を買いに大阪球場を舐めるようにオヤジと歩いた記憶。
南海ホークスホーム最終戦。
大阪球場の無料開放された外野席に僕はいました。同時期に消滅した阪急ブレーブスの方がしっくり来てオリックス・ブレーブスのファンクラブに入り、ブーマーのサインボールをもらった一連の記憶。鮮明に残ってます。

読後感として細かい点を述べ出したら色々書けてしまう。でもそれはちがう。
一つ前の世代にあったダイナミズム。
もっとも大雑把で適当な部分・グレーな部分。ええ加減な所もちらほら。それは側面。
もっと力強く、堂々とたくましく。ガツガツしながらガチンコむき出し。それも側面。
人間味があってウエットな世界観。

なんだろう。勝負の世界の質感が今と何かちがう。それをひしひし文章から火傷しそうなほど感じてします。
きっと、ファンの形態も異なるし、経済や娯楽やいろんな時代背景の要素がその質感に反映されているのかもしれない。

なら、なぜ、同じホームラン30本、打率三割、30盗塁という数字が同じのようで同じででなく感じるのか。

世界の盗塁王・福本豊さんが言った言葉
「盗塁のタイトルとったり、盗塁で給料上がったら途端に走らんようになる。」って。
怪我を恐れて。それに対して「あほか!」いう表情を浮かべた盗塁王。

そう、ようはどこかでブレーキを利かせるような、丸く長く生きる術がスタンダードになったのかなって。
そもそものハングリー精神の違いもあるかもしれないけど。

バイタリティーという何か臭く匂うように思われがちな生き方こそ今のみんなが知ってるけど観て観ぬフリする世の中の解の気がしたのでした。
無駄な協調より突飛な孤独。

先人たちの生き方しっかり学ぶ時なのかもしれません。
先人たちのようにたくましく。。。もう一杯!!!

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