金曜日, 11月 06, 2015

35冊目2015(221)

教養としてのプロレス (双葉新書) 
プチ鹿島  (著)
双葉社 (2014/8/6)

レスラーの話から始まると思われた書き始め、果たして「いいとも!グランドフィナーレ」の話から始まります。これがプロレスだと。
これをプロレスたる定義から話が転がってゆきます。

プロレスとは世界を見る目を養うと。
オウム真理教的なモノ。オカルト的な半信半疑なモノへの対峙の仕方。スポーツ・犯罪・芸能・政治まで。個々の事象に宿る喜怒哀楽・起承転結。そのダイナミズムを目の当たりにしている現状。
それに対する受け身の虎の巻。いったい何が起きているの?という。
相対化して過去のプロレスの出来事になぞらえて道筋を立てていく。

ははーー。こういうことか。
自分が熱を持ったモノに例えるのは人としての常套手段。それによって理解が深まるから。
それをプロレスに当てはめた。そのプロレスが本音と建前的な熱狂と冷静の間を行ったり来たりするような代物だから見えてくる景色。

馬鹿げたような真面目なような熱気を帯びた人間味の裏に潜む寂しさ。みたいな。

プロレスがプロレスたる所以がなんやようわからんように、世の中の出来事のなん霞んだグレーを見る目。それをはははと笑える・咀嚼できる。教養なのです。
なんか何かにつままれたような読後感です。それがプロレスなのかも。

グランドフィナーレのプロレスを目の当たりにするかなり前に、まるで同じようなリングに上がるお笑いレスラーたちに僕は魅了されていたのでした。
僕のバイブルたる番組・パペポTV。それの本当の最終回(鶴+龍が最後の番組タイトル)
舞台で繰り広げられた取っ組み合いはまさに、この本で言うプロレスそのものだったのでした。

あー、歴史は繰り返されるというより本質は同じ構成でしかないのかもしれません。
ワン、ツー、ス。。。おーーーー!!旨いもんは旨い!!
ダウンする前に是非!
注) 酔っ払いはダウンではありません!

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