日曜日, 12月 28, 2014

読んだ本・その45(187)

外食2.0 (ideaink 〈アイデアインク〉) 単行本
君島 佐和子 (著)
朝日出版社 (2012/11/17)

「2.0」の持つ意味。読み進めていくうちに輪郭が見えてきます。3つのキーワードが根幹をなしていると思います。

1) ライフスタイルにおける食の存在
2) SNSなどによる評価経済学
3) おいしさとは何かとう食育

個人個人の食に対する向き合い方(スローフードやベジタリアンなど)と店を経営するする側・作る側の食に対するそれ、例えば価格帯や提供する料理のスタイルによる「お食事処」の変化(レストラン、バルやビストロといった)のそれぞれの分析と相互作用が1。

宣伝と言う方法が写真でweb上にアップすることや食べログと言ったサイトで評価される現代。昔なら雑誌やテレビなどのメディア(専門性を持った人のフィルター)を通じてマスに発信していたことが、個人ベースで出来てしまう現代への考察としての2。

最後の3は作る側・食べる側が味というものをどのように捉えるか・感じるか・表現するか。そこには知識やサイエンス・ケミストリーと言った要素が入り込むという点でこれはある意味で学習・教育の側面を持っている。

食べるという行為は生命を維持するうえで必須であるが上に、上記の事など関係なく「腹を満たす」ことで十分という考え方も存在します。
ここには文化や地域性、そして貧富、そう格差やレイヤーと言うものを避けては語れないと思います。前者の意識的なモノと後者の物理的なモノ。これらの交差と化学反応によって食は多様で文化という側面を帯びるんでしょうね。

僕自身は前者と後者の境目に浸かっているような気がします。そして住んでる場所柄それを意識できるのかも知れませんが。立ち止まって広義の食を考えるのには最適な本だと思います。

さて今日は何を食べようか。。。ビールそれは飲み物です!!!

火曜日, 12月 23, 2014

読んだ本・その43(186)

近大マグロの奇跡: 完全養殖成功への32年 (新潮文庫) 文庫 – 2013/11/28
林 宏樹 (著)
新潮社 (2013/11/28)

ドキュメンタリー。プロジェクトXやカンブリア宮殿的とでも言ってしまえば安い安い話になります。
でも現実に生物学をやる立場として感動しました。そして羨望をもってこの本を読後眺めました
。
書内に出てくるフレーズ。この成功は「私学」だから、「私学」が主導したから、といった下り。理念や予算とかこの数年の基礎研究の大きな議論にダーツの矢を投げたような。これが示す意味は重いですね。

アウトプットとしてはマグロをおいしく食べれると言った食文化ワイワイと言った話ではなく、食糧安全保障の話であるという事。資源枯渇や国際ルールに伴う規制。その中で安全に安定的に海産資源を確保するか。農業や畜産といった技術との対比なるかもしれません。なぜ魚なのか?立ち止まって考えるのにとてもいい機会を与えてくれるでしょう。

そして、GMO(gene modified organism: 遺伝子組み換え)に関しても考える事象も出てきます。完全養殖魚を海に放つこと。人工交雑によって2つの種のいいところ備えた種の生産(これは米の栽培にでも応用されている技術)。さらに選抜育種と言う手法(同じ個体種内でのセレクション)。これらは人為的(人工交雑や選抜育種は最終的に個体自身の生殖活動によって増える)な分子生物学ではなく経験則的な側面があって、これらによって過去僕たち人間も多様性を獲得してきた事実でもあります。
それと相対する遺伝子組み換え。遺伝子の交換と言った側面は両者に共通する事項である。その事実を踏まえてどこまでの人が厳密な“遺伝子組み換え”に対しての嫌悪感をあらにしているのか。

GMOの花粉の伝播やそれを食す昆虫類と言った問題から言えば、管理出来る範囲とその範囲外と言う意味では農業の方が圧倒的に不利でしょう。でも「分子生物学的」な組み換えと「ある側面で自然発生的に起こりうるものを「人工・人為的」に自然交配に任せて行った」組み換え(はい、説明が長いのは知ってる!)の時の問題のレベルはどうなの??

きっと大きな議論は起きていて僕自身完全にフォローできていない確証はあります。でもそれすら混同してしまっている方たちには、考えるきっかけを与える良書としか僕にはおもえません。
米・肉・魚そして野菜。もう一度何をもって天然・安全と言ったことを考えてみませんか?

この本もまた帰国時に訪れたい場所を与えてくれました。いつか、僕のサイエンスも人に感動を与える機会がやってこればと思います。
知ってます。それを意識てるようじゃ一生無理なのも。。。
知らぬが仏。ちょっと違うか!?。。。

読んだ本・その42(185)

伊良部秀輝 (PHP新書) 新書 
団 野村  (著)
PHP研究所 (2013/2/17)

その道を極めるとはどいうことなのか?この問いを受けて目が向くのは極めた先なのではないでしょうか。でもその道筋の苦悩。そして極めた先が現実に明確に存在するのか?

伊良部選手と聞いてどういったイメージを皆さんは抱くのでしょうか?
僕は阪神時代のいろいろな話やyoutubeで彼の野球理論と言うものに接していたので、この本で書かれている伊良部選手の素顔と言うのにはすっと馴染めました。というか、ここ最近やしきたかじんさんやサッカー・我那覇選手の本を読んだ為かまたかと思ってしまったの事実です。

逆になぜそこまでターゲットになったのか?イチロー選手ほどグーの音が出ないほどの成績ではなかったのは大きいのかもしれないですね。それらを踏まえて、現在のサッカーの香川選手や本田選手の報道なんてそんなものと見るのがいいのかもしれませんね。

表面的な評判はさておき、伊良部選手の野球に対する情熱を目の当たりにして感じたことが一つあります。厳密には2人の例を知ってしまったと言うのが事実です。
それは、明確な答えが存在しにくい道を追求することは自分との消耗戦を性格によっては強いられ、結果として鬱といった深みにはまってしまう可能性が高いのではということです。

故・桂枝雀さんのことを色々見たり聞いたり調べたりと言う時間がここ数日あってから、この伊良部選手の本を読んだのでした。そして残念ながらお二方とも自殺と言う結末を迎えてしまった事
実。

研究と言う仕事も遠からず近からずこの種の職であり、それを導くのは科学的真ということへの議論となるのからでしょう。野球とはピッチングとは。芸とは話術とは笑わせるとは。
表と裏(報道上とヒトとして)の伊良部選手を知れてよかったです。

2003年の日本シリーズ・阪神vsダイエーの第六戦。甲子園球場へパブリックビューイングに出かけた僕。誰もが先発ムーアと予想したなか伊良部選手が先発。今でも球場のどよめきを覚えています。ある人はかなりの剣幕だったのを鮮明に覚えている。
でもなぜか僕は第二戦でKOされた伊良部選手を優勝のかかるこの試合に先発させた星野監督の心意気だろうと勝手に解釈し、感動したのを覚えています。前述している、その後に知った伊良部選手の素顔的なモノ。

人を知る、人に知ってもらう、生きると言う旅には語ってくれる友と話せる友が必要なのでしょうか。そんな友を見つけることが目的の旅になっていけない訳で。

うーーーん。。。もう一杯!!

伊良部選手ありがとう!ヒデキは僕の中では松井でも西城でもなく伊良部です!

読んだ本・その41(184)

東京最後の異界 鶯谷 単行本
本橋 信宏 (著)
宝島社 (2013/12/13)

現代の男女の性や現代の風俗と言った各レイヤーによって切り取られた鶯谷は、歴史的な土地の流れと言う軸が刺さり文化や時代背景と言った飾りによって、その界隈の空気感を読者に伝えてきます。

欲望渦巻く街。この欲望は男性のものと連想した人は残念ながら浅はかと言えるかもしれません。女性側にも存在する欲望に目を背けた時点でこの本はノベル・フィクションになるでしょう。男性が欲望と言えば性的なモノが浮かびますが、女性に対してこれを投げると男性とは違った色を帯びるのではないでしょうか。

だからこそこの鶯谷と言う異界が存在がしうるのでしょう。

人間模様は以前ここでも書いた名前のない女たちに似ています。街としては同じく前出の色町の飛田の話との比較になるのでしょうか(吉原への玄関と言う意味でも)。

かと思えば、文化人の愛した街であり(正岡子規や林家三平)名店と言われるような老舗の店や料亭があり、下町としての風情もある。

本の中でも出てくるが大阪の西成・通天閣周辺といった描写に妙に腑に落ちた自分がいたのでした。

街の空気感とは何によって醸成されるのだろうか?流れと滞留という項があった。流れてもダメかけど、動かないのもだめ。そのバランス。
うーーん。都市計画とかはこのようなものも踏まえて設定するのならなんとも創造的な仕事だと思う。でも実際の思惑といがう形(そもそもそんな学術を語ることが野暮なのかもしれない)で存在する今の形の鶯谷は面白いですね。帰国時に寄りたい場所が増えました。

えっ!?何しに!?社会勉強ですよ。。。

金曜日, 12月 19, 2014

読んだ本・その40(183)

女子会2.0 単行本(ソフトカバー)
「ジレンマ+」編集部 (編集)
NHK出版 (2013/5/23)

タイトルから連想した本のイメージとは全く違います(僕の予想・男子の予想・世間の予想がどれぐらい相補的かは不明ですが。。。)。

内容は女性の社会進出や結婚・出産といったものを座談会参加者の皮膚感覚・統計・調査や社会の趨勢と言ったモノからひも解いてます。

この女性が置かれた現状と生き方。これらは男性とのそれらとの相対的変化と制度など絶対的変化の兼ね合いから見えてきます。。。

などと書いてきましたが、僕がここで感じたことは実はこの現在の女性が辿る道を男子がこれから歩という現実です。
ここでいう男子は日本男子。

グローバルとロボットなどによって割を食う男子。
女性の悩みは将来男子が直面する悩みとして見るべきでしょう。
じゃー、その時女性は?
男子とフラットになってむしろアクティブに生きていると思います。

そう、この本は男子が自己を見つめ認識しどうするべきかを思案するべき書と僕は認識しました。
男性の地位なんてそれが地位と思っている男子にしか存在しないんですよ。
相対的な地位に胡坐をかく。
相対性と絶対的な自己との葛藤の時ですかね。

この本。面白いです。
そして、今こうして女子を観察したくなる@ 行きつけの飲み屋。。。
キモイ!!

木曜日, 12月 18, 2014

止まっていた時間

有朋自遠方来、不亦楽乎。

孔子の言葉で論語に収められています。

時間が止まったら。あの時に戻れたら。
この世界の中で生きる以上は避けて通れない連続する時間。

その時間。

それは心の中・脳の中・身体の中で止まって存在するのだと感じた。

最初の一文の通り友人が遊びに来てくれました。4年ぶり。でもアメリカ生活が長い分がっちりシェアした時間的には9年とかぶりかな。

卒業式でみんなで発した、
「走馬灯のように甦ってきます!」
来ました!

同じような経験は高3の同期と飲んだ時にも起きます。

脳内に浮かぶあの当時の絵と声。

濃い人間関係とか言うのかな。
でもそれは本当に偶然の出会いでも僕には残っている。

それを踏まえて感じたこと。
自分の思い入れとかインパクトとか。濃さ深さ重さ楽しさ、時に悲しさ。
それはしっかり記憶されいつでもその時の臨場感を伴って帰ってくる。

それをシェア出来た人がそこに居たなら。
それを想起させる機会を作ってくれたなら。

僕も作る側に立てたらいいなぁー。

この34年の臨場感。ありがとう。そして、その先の臨場感。

ワクワクでいくぜ!!!

読んだ本・その39(182)

魚料理のサイエンス (新潮文庫) 文庫 – 2013/12/24
成瀬 宇平  (著)
新潮社 (2013/12/24)

50種類以上の魚に関する知識が詰まってます。タイトルにサイエンスとあるように、科学的な栄養素の考察もふんだんにちらばめられており読むと魚を食したくなります。

自分の研究対象であるタンパク質の含有量と味の相関。なるほど!と何度も付箋を貼りつけました。
生態から調理法まで。如何に日本の魚食文化が深遠かを知ることができます。

ここから、敢えて問題提起とまではいきませんが自己を主張したと思います。
これだけの生態系を保持する海の偉大さ。そして、その棲み分けに侵食し多幸感を得る人間を罪に感じました。
なぜ?
それはベジタリアンという敢えていう種の人たちが居るからです。
僕は彼らを否定する気は全くありません。でもなぜその決断をしたのだろうという部分に興味があります。

可哀想。

植物も土から抜かれたら死に向かいます。
声を発しない植物。

肉はダメでも魚介類は良しとするタイプの人もいるようです。

家畜としてに肉類。可哀想。でもすでに述べたように、多様に且つ棲み分けた水の中を犯す人間は自分たちの管理に基づいた家畜と罪の重さはどう違うの?

食も連鎖のヒエラルキーで自分の力でエネルギーを生産できない人間に生まれた以上、何人もその罪を無意識に背負う。
それに尊さを持ち生を全うする。
だからこそ得られたものを味わう。
食文化。

だから敢えて。なぜあなたは食生活の制限を選んだのかを聞きたいのです。
善や悪でなく。どんな耐久性を備えた軸に沿っているのか。

何も誤りではないし価値観の多様性もあります。
だからこそ、浅はかではなくツッコミどころ満載でない意思でやってほしい。

それをこれを読んで思いました。
魚を食する尊さを感じたいと思ったから。

昨日食べたすしはとても美味しかった。母なる海よありがとう!
今日飲むビールはとても美味い。母なる大地よありがとう!

水曜日, 12月 03, 2014

エネルギー

小さいときに耳に残っている曲。音楽。リズム。
なんか心躍る旋律。ワクワクした感情。
その音に沿って思い出される思い出。

今それらをどんなモノで誰が歌って購入可能でアルバムにしていつでも聴ける。

感慨深い!!!なんかやる気でます!!!
当たり前でなかったからね。

小学生から高校生までスマホを持ちインターネット駆使する世代は20年いや10年後に何をもって過去との接点で感動するのかな。
それを想像するという大きな宿題を授かった気がします。
だから、その音源聞いてテンション上げよう!!

いや。。。遅いから寝ろよ。。。

水曜日, 11月 26, 2014

読んだ本・その38(181)

ペンギンが空を飛んだ日―IC乗車券・Suicaが変えたライフスタイル (交通新聞社新書) 単行本 – 2013/8
椎橋 章夫 (著)
交通新聞社 (2013/08)

当たり前になっていることが当たり前でなかった時。その当たり前を考案するするとはどういった事なのか?

この本は物語とか、ビジネスモデルとか、企業のありかたとか、投資とはとか、技術者とはとか、テクノロジーとか、社会インフラとか、色んな側面で語ることが出来るでしょう。
なぜなら、だれもが当たり前のように接するものが出来るまでの話だから。

久しく日本を離れていますが、僕が居た当時でもかなり普及していたIC乗車券。この本を読む限り社会インフラとしてそして便利さの象徴として広がったこのシステムの凄さを感じました。

「XXXしたい。XXXだったら。」から行動をおこして最後に「XXXになった。XXXができた。」という夢の実現。夢物語。この実現は現状維持との戦いでしょうね。だって今までの切符のシステムで一応はちゃんと回っているんだから。
そこに、でもって切り口を入れる勇気と覚悟と決断がそれぞれの立場で出来るか。
揃う時があるから面白いし、揃ったから現在の空間が存在する。

興味深く思ったのはSuicaが自己の機能を果たしだしてからの提携の動き。利便性を得たことによる更なる欲求。その欲求が反映する現実。
本書に出てく関東圏のSuicaと北海道のKitacaの提携の話なんて、なるほどなーって!
こういった視点の数々に唸りました。

自分のやってることに当てはめてみて、僕もがんばるか!ってなりました。そして気付いてない何かを感じ取れるようになれたらなと。
そのために。。。
もう飲みに出かけよう!明日は休みやしええやろーーー。。。アカンと思う。。。

木曜日, 11月 20, 2014

読んだ本・その36, 37(179, 180)

殉愛 単行本
百田 尚樹  (著)
幻冬舎 (2014/11/7)

争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール 単行本(ソフトカバー)
木村 元彦 (著)
集英社インターナショナル (2011/12/15)


殉愛に関しては1冊について感想を述べるつもりでいました。ところが、次に手にした我那覇選手の本があまりにも本質的な部分で似ているので一緒に記すことにしました。

戦う人と支える人。
共感する人と問題を作る人。
真実を知ろうとする人と嘘をつく人。
奇跡としか思えない出来事や人と人のつながりから生まれるケミストリーの数々。
いいかげんなマスコミとそれによって真実から遠ざかる我々。
あきらめの淵であきらめないヒトの強さと耐久性
そしてこの2冊には医療と言う現場で戦う人の職業倫理が加味されます。

これはノンフィクションなのです。その深さ。悲劇の極地は喜劇。嘘のような事実。

真実は当事者とそれに関わった人しか知らない。
そして幸いに真実に誠実な人と残念ながら自分を第一に行動する人が交錯します。
人としてとか義とが善とか悪とかフェアとか。

結局はそこにその人の人間性が如実に反映される。
それが闘病とか裁判とかといったある意味で追い込まれた状況。
だからこそ、真実や現実に対して向き合える自己犠牲を払えるという尊さ。

読んでいて腹が立ちます。ある一部の人たちの立ち居振る舞いに。
もちろん書く側の立ち位置があるからこそ発生します。でも、ここで”向う側”に立つような人間にはなりたくない。
同じ気持ちの人と付き合いたい。心意気とか優しさとか友情とか。ウエットなもの。
でも、そのウエットティッシュを自分に差し出してくれる人たちのクラスター。
だからこそ、この2冊が世に出たことに心から「よかった」と言いたい。
そして手に取れたことにも「よかった」と。

各人の自問自答の描写。そう、日々自問自答し決断する。でも、それを極限状態でも冷静にかつ全うできるのか?フェアに。
この2冊を読めてよかった。そして改めて真実を知るためのリテラシーと、その前での立ち居振る舞いを当たり前に出来る大人になりたいと。

じんちゃん!ありがとう!
我那覇選手!応援します!

さー!飲むぞ!



P.S. 今トップの本の状を見るべくアマゾンの殉愛のページへ。平均の星は2つ。678のレビュー。463のレビューが星1つ。少し目を通して気分が悪くなった。真実とか上で書いてた己を。。。尊敬するわ!恥を知れ!こんな糞日本に誰が帰るかボケ!!!

木曜日, 11月 13, 2014

溝

映画 Interstellar を観てきた。日本では22日から公開のようですね。

ネタばれ云々はしません。ただ宇宙や最新の量子力学や素粒子といった類のもの。
ダークエネルギーとかビックバンとか。超ひも理論とか。
ちょっと知っていると面白く見れるとおもいます。そして僕はとても素晴らしく映像化していると思いました。

存在とかまたそんな話になります。でもね、この世に生きてることを人との関係性でなく宇宙とかのちょっと大きなビューで視るのは意義があるかなって。
映画の中のあるシーンで頻繁にかつ効果的に出てきた言葉。

「time is relative」

相対的な時間。でも絶対的。でもでも主観的。
時間をどう感じてますか??

-------------------------------------

何となく線を入れました。区切り!?

面白い夢をみました。人が死んだり事故に遭ったり的な夢なんですが、厳密に言うとデジタルとアナログの境界の夢でした。

流れてる時間が寸断される。その寸断面に向かい合う時。
すごい情報量。
流れているものを区切った瞬間にフローしてた情報を受け止めないといけない。

自分の中でこれがスゴイ発見で。
受け止める。流れを。

「すみません、ここまでどう行くんですか?」
と、フローが止まった時に何処とか誰とか色んな詳細が発生する。
それは全て情報と言う名のフローとぶつかった瞬間。

研究をしていてある側面を観察する際、観てるのは流動的な動的な部分の側面。
その側面に向き合うから情報を感知する。
何か切り口を作るという、アナログからデジタルというかゼロサムと連続性の立ち位置。切り口を入れるセンス。
でも前提として忘れてはいけない動的感。

ここ数日そんなことに思い巡らせます。見極めと耐久性の狭間の決断。
しびれるねー。

-----------------------------------------

 何かを感じたり知ったりって、自分の流路から離れて他のフローを感じることかなって。
だからこそ時間は流れる。それぞれの速度をもって。
その速度感。
相対的な時間。
何か大きな大きな溝があるそうな。
どんな溝!?
それが分かった時、きっと快適な人生なんでしょうね。
でもそのフローも相対的みたいな。


ふふふ。だから生きることを体感しないといけないんですね。
この急に来た寒さはブレーキかアクセルか。
なーーーんて考えるヨッパライ。
これもまた偶然。

宝くじでも買うか!?


金曜日, 11月 07, 2014

ごにょごにょボソボソつぶやきサブローシロー

何かが起きる時は連続的に起きたりする。朝から夜更けまで。
その一日を振り返って「あー、カオス」だったなって。

でもその反面、朝に起きたトリガーによってその日のカオスが決まったような気もする。
その時その場所そのタイミングに出くわすことは一連の流れの出来事だったりする。

ここでこれがあって、そこでそうなって、あのときああ言ったからといった具合で。
これは縁起というか巡り合わせなんだけど巡って来たというのかな。

ある一言を空気中に投げたあとに起こる反応。それは瞬時だったり時間差だったり。
そこでその一言、あるいはキーワードに言及したことで始まる物語。

ハッピーエンドかバッドエンドかは時間の経過に身を委ねないと見えてこない。

まぁ、最近そんなことを富に感じるのですよ。
あっ!はっ!みたいな。

それを最大化、時に最小化するために物思いにふけります。
でも、ふけってるだけじゃ何も起こらないんですよね。

この数日アクションと言うか行動ということを考えます。
出来る。知ってる。だから後回しに。この怠惰の王様的行動の影響を切に感じます。
ルーティーン。このルーティーン。
ハードルを自ずと上げる、いや上げておく。いや、当たり前にしておく。
慣れですか。慣れたらいんですよ。だって人間サボりたがり。

なぜサボる。面倒くさいとか、やらなアカンことあるとか。
その通りなんですけど、僕のライフはフレキシブルを前提にしてる以上、その言い訳はダメなんですよね。言っちゃえば。言っちゃった。

あーーーーーーーーー。
最近学んだことを踏まえたら、上手に環境に変化を与えます。それが行動を促すから。

何が言いたいかと言うと、これを気付く機会も偶発でこれを記すのも気分。
ねー。規定された現状を可能な限り見極める目。
でも、それするには飲んじゃうよねぇー。

今日あった一番のハイライトが何故起きたかと辿ってみると思いですよ。
そして先日に見た夢の意味とか。

まぁ、明日も同じ作業から現状との違いでケタケタやりますわ。
つらつら。意外と。。。書けるね!!笑
はい!終わり!行きつけここで閉店!15 min!

火曜日, 11月 04, 2014

読んだ本・その35(178)

弱いつながり 検索ワードを探す旅 単行本
東 浩紀  (著)
幻冬舎 (2014/7/24)

僕にはいつくか鉄板とまではいきませんが、うけるネタがあります。そしてそのほとんどが旅に関するものです。

旅とは非日常を体験する時間として前から位置づけていて、自分でも可能な限りその時間を作りたいと思うのでした。

今回この本を読んで、旅が持つ新たな側面を実感ししました。果たしてその側面はすでに僕の旅の中で実体験を通して日常に還元されているものでした。
でも、意識と無意識の狭間。今後これを意識的にすることで僕の引き出しは格段に増えるのではと、いつになるかわからない次回の旅に想いを馳せるのでした。

敬愛する東さんの新刊。読みたくて読みたくてついに手にできました。キーワードは先に述べた旅とネット。

ネットが生活の大分部において果たす役割が大きくなった現代において、よりよく生きるための方法。それを気付くための旅という行為。
手段として。ネットを扱う上で発生する言葉との接し方。その言葉と深く関わるリアルな社会生活と存在としてのモノ。

環境として。購読している佐々木俊尚さんのメールマガジンで取り上げられていた、小笠原諸島に移住した写真家の人の言葉
「自分を変えるには、住む場所を変えること、一番要らないのは、新しい決意」
そして現状が現在の自分を規定するという僕の好きな言葉。

僕の日常で大事な要素として存在する、色んな人と偶発的に出会うことによって起こるケミストリー。

こういった僕の頭の中で点でバラバラで存在した考え方や感じていたこと自分の意見といったものが、この東さんの書によってふわっと輪郭を浮かべたように思いました。

結構僕の人生おもろく過ごせてますやんって自己評価高くしてしまいました(恥)。
旅かぁ。最近自分のスタイルで旅をしていないので近いうちに出かけたいと思いました。どこへ??
ダーツでも投げますか!?

月曜日, 10月 27, 2014

勇気をもって

ごめん!

ごめん。。。

すみません

I'm sorry

偶然に意図的に人は謝らないといけない時があると僕は思う。
でも逃げる人もいます。言い訳から。
言い訳はみんなします。いや、出来ます。

でもそれ以上に非を認めること。

置き換えましょう。謝るとき非があります。謝られた人に非があります。
その非ははたしてどれだけの非なのか。
非よりも声に出した勇気の方が大きかったりしません?
人に求めるよりも自分が向き合う時。

ごめんなさい。

聞く側として。大丈夫と言いたい。
いう側として。心から詫びたい。

そのケミストリー。死ぬわけじゃないし。そこは笑おう。
フェアな人間関係であるために。健全であるため。自分が正直に生きるために。

読んだ本・その34(177)

芸術原論 (岩波現代文庫) 文庫
赤瀬川 原平 
岩波書店 (2006/5/16)

キーワードは偶然。これに尽きるでしょう。

書の前半に偶然をキーワードとした出来事の数々が紹介されます。それを読みがら「おもしろいなー」と思う反面、タイトルとどう関係するのだろうと。

果たしてそれは杞憂に終わったのだった。
観察と気付くという人間に与えられた好奇心と言う名の癖とでもいうのだろうか。
それを如何に鋭敏に深く出来るか。そこからアートとの素が生まれてくる。

だから芸術原論であり。偶然の出来事の紹介なのである。
時に人は鈍感である。かと思えば敏感でる。
そして細かいところまで気付く人まったく気にしない図太い人。

偶然と言うのもある種の感受性であり才能であり運だったり。
それは個人差により、その差異がアーティストを芸術家たらしめる要素なのだろうなと。
読み進めるうちに響いてくるのでした。

物凄く本質を突いたコメントも出てきて、相対化が好きな僕は自分のサイエンスと重ね合わせて固まったりもしました。

読み始めた当初、偶然に僕も翻弄されていました。なぜならたまたまた訪れた書店でsaleで売られたこの本。本棚に並んでいたら手にしていたか分かりません。そして偶然の紹介の中で出てくる日航機墜落事故の記述。そうその年阪神タイガースが日本一になった年の文章。その墜落事件に阪神の球団関係者が不幸にも被害者として関わったこと。そのタイガースが日本一をかけて日本シリーズを戦っている現状。

これで結構ふわーっとなっていた昨日。
著者である赤瀬川原平さんが他界されました。
yahooのニュースで見たとき目を疑いました。こんなにも固まっる経験はありません。
そして、この本を読み切ろうと向かい合ったのでした。
赤瀬川さんとの対話は本当に楽しかった。そして心に響ききっと新たな偶然を生んでくるのだろうと思います。
心からご冥福をお祈りいたします。献杯。

土曜日, 10月 25, 2014

はい!ここにますよー!

先日飛行機に乗り遅れた。
乗り遅れた事実は当人しか知らなくて、他人に知らせない限り誰も気にしないし知らない出来事。
その前に、僕が旅に出ることを知らない人にとってそれすらも意味のない一つの出来事である。
ところが、この状況で現実の僕の在処を把握しているのは僕自身と空港会社だけである。
僕が旅程にあることを聞いた人も知っている人も、飛行機に乗った機上の人になっていると思っている。
でも実際は僕は空港でビールを飲んでいる。

存在・実在

今僕は世界の中でひっそりと消息を消した存在だー!と思って一瞬何が何だか分からなくなった。
だれがどこにいるか。位置情報。GPS。
生きているという証明は自分が一番分かっている事実なのだが、他人からの認識によって良くも悪くも規定されている現代社会があるのかなーなーんて、ふと落ちたエアポケットで思いふけった。


*******

諸事情もろもろで完オフを取った。
その際、睡眠それも2度寝と言う最高のひと時と向かい合った時のこと。

独り言。まぁ、しますよ。仕事中・サッカー中・飲んでる時・家に居る時。
実際に音として発する言葉。
それとは対をなす、心の会話。心の独り言。

でも、世の中のすべての人がこれをしているかは分からないし、やっていたとしても比較が安直にできない。
それを今回は置いておいたうえで。
その心の独り言は意識を働かせることで振動とし空気中に放たれた音とそての独り言になる。これは耳と言う器官を通じて脳内で理解される。
さて、こころの独り言はどういった音をもって脳・身体が認識しているのだろう。
その心の独り言には声の強弱高低からものまねチックなものまで。
記憶としての音。人の声やフレーズ。脳内で再現する。まるで耳元でささやかれているように。

ながなが理屈を並べたけど、要は自分は何をもって喋ったり・聞いたりしとるねん。

今、小さく「あー」と声を出した。実際に喉を使って。
今、「あー」と心の中で呟いた。自分にしか認識できない声として。

はてさて、脳と耳と口と身体の協奏曲ですか。
現実・実際・actual・realってなんぞや。


*******

でも今、呼吸をして生きているんです。それを自分は知っている。
なーーーーーんか、なんとなーーーーーーく、面白くない!?
って思ったのでした。
さて、もう一杯飲むか。

金曜日, 10月 17, 2014

読んだ本・その31-33(174-176)

私鉄探検 (ソフトバンク新書) 新書
近藤 正高  (著)
ソフトバンククリエイティブ (2008/6/17)

予てから鉄道の沿線文化やその発展などには興味があって、過去にも何冊か寺社仏閣へのアクセスとしての私鉄の発展、宗教ツーリズムに関して読んでいたのですがこの本はもうちょっと大きな視点から私鉄が与えた影響を考察していて面白かった。アニメのキャラ・土地開発・観光・スポーツと文化などなど。その電鉄会社が何を軸にして今まで生きてきたか。生きる上での軸って大なり小なりみんな抱えている。それと同じように、それぞれの会社の生き様というか何を核にして生きてきたかを見ているようで妙に私鉄に親近感が湧きます。こういったのが人それぞれ目的地にどの電車やどの路線を使うのに影響したりするのかなと。あと各社を含め鉄道社会の合併や変遷の歴史を辿るときに新たな「そうなんや!」があって面白かったです。この本の執筆時、スカイツリーは完成しておらず新東京タワーと表記していたので、この本の後にもまた同様に色々な変がすでに起きているんだろうなと、時間の流れと開発や変化の速さを感じるのでした。


ラッセルのパラドクス―世界を読み換える哲学 (岩波新書 新赤版 (975)) 新書
三浦 俊彦  (著)
岩波書店 (2005/10/20)

サイエンスの文章を書く作業をしていた中で、この本ともう一冊が構成やコンセプトにとてもとても大きな影響を与えました。読めたことに心から感謝します(も一冊はまだよみきれていませんが)。ラッセルと言う哲学者の思考の変遷です。なので難しい部分も多々あります。読んでも全く反応もない人もいるでしょう。僕にとっては提示される問い何度も何度も「なるほど!」とさせられる一方で、全く他分野の話題から(特に仏教的な概念から)以前に振れたことのある問いに再度触れたり。「そう、それは僕も思ったことある!」ってのがあったり。本と脳みそと執筆中のサイエンスの文の間をぐるぐる時にくらくらしながら試行・思考してました。
主な問いは言語や存在・実在へのアプローチ。その中で分類という人による作業。この人によるが認識や概念と言った差異が生まれ。それを解消するための定義の方法。そこに関わる表現や分析。西洋的や東洋的な考えの差異が影響したり。書いている今も堂々巡りをしているようです。というかこの堂々巡り自体が本質で、この世と言うのを人というモノが自身の都合のいいように無理から理解を加えているとでも言うのか。ここら辺がどうも仏教っぽくなってしまう。哲学的出ることは科学的かつ時に宗教的なのかも。この3つはそれぞれ違うようで同じで。。。あー、またくらくらしてきますね。
でもこういった本を読むのも楽しいですよ。まるで禅問答みたいですが、そこに何か感じるものがあると思います。
ラッセル先生は僕のレビューのコンセプトにどんな批評をくれるのかな。。。なーーんて。ちゅうかまず英語がボロボロでそこからか。。。


<生命>とは何だろうか――表現する生物学、思考する芸術 (講談社現代新書) 新書
岩崎 秀雄 (著)
講談社 (2013/2/15)

バイオロジーをやっている僕はこの本に引き込まれるように読み切ってしまいました。生命ってとてもややこしいテーマを一般の人でも分かりやすいように書いてあるなと感心し、アカウンタビリティーとはこういう事かと思い知らされました。
2つの視点で読んでいました。科学をしている自分と、生命といった現象に興味がある素人の自分。今の科学は分野が細分化されているのもあり、ここで扱う人工細胞を作るといった話は全くの素人的な関心と共に読みました。時々知ってることが出てきて「おー、それは分かる!」となる自分。これが知を得る際の喜びなのではと再確認ですね。そして自分のやってることに当てはめてみることができる楽しみも。
発見をするためのアプローチの記述が出てきますがかれはまさに前に読んだ「ラッセルのパラドックス」にて議論されていたそれそのも。つまりやっぱり科学的であることは哲学的であるのだなと。そこに生命と言う問いを扱う上で避けて通れない倫理の問題。そして生命現象が持つ美しさ。アートとしての側面。そしてそれを表現するということ。結構大層なことを仕事にしてるもんやなぁと。
最終章で出てくるサイエンスとアートの融合したプロジェクトの数々。それをやっている人たちに羨望の眼差しを送らずにはいられません。
この書を学会に赴く前に読めたこと。ラッセルのパラドックスの後に読めたこと。これもダイナミックな意味合いで生命の不思議ですね。サイエンスをできる喜びに乾杯!って飲むのかい。。。

月曜日, 9月 29, 2014

パニックとパンデミックは友達です

文章を書くのはある意味で一つの習慣であって、継続するだけで慣れてきて上手くなるきっかけを掴めるのだろう。練習いうのはこの手の継続をある意味強制力を持たせるために開発された言葉なのでないか。そこにセンスやら才能やら万人の尺度では測れない要素が入り差が生まれ淘汰のプロセスが始まるに違いない。そのこに専門性や特異性を持たせなければ、なんでも継続だけで平均点以上のことは出来るのではないか?ただ時間と言うこれは万人共通の尺が割く時間を拘束するのがやっかいだ。はてさて。

なーんて長らく書いていなかったのでわーっと書いてみた。
ははは、これを同じコンテキストで英語で記せ。。。
それで色々困っているんだよ!

英語の文章に慣れるために書き続ける方法が浮かび、上手く行けば2年ぐらいは持つかもとおもったが、ネタが切れたら終わりじゃねーか!ネタ作るには時間が要るんだ!それで結局書けなくなる。
この思考実験を調子乗って書いたのがこのエントリーの緒言である!

それはさておき。

もう遠い昔のことに記憶される鳥インフルエンザ騒動。
当時の厚生労働大臣は現都知事の桝添さん。当時の対処の仕方を思い出して東京でのデング熱の封じ込め。。。おっと!

パンデミック的な感染の仕組みをひょんなきっかけで経験しました。内容は書きません。
でも、これが人が死んだり病気になるプロセスだと思ったとき。ぞーーーーーっとしました。

感染経路なんて分かった時には感染中もしくは手遅れ。
無知こそ最大の失態。恥てやりすごすは事態を拡大する。
おかしいとおもったらすぐに行動すべし。

今回は幸いほぼ僕の回り制圧できましたが、まだしばらくはハイアラートかな。
というか、アレルギーやウイルスが広がるのと一緒でどこかで爆発的に増えたらおしまいなのだと思う。

爆発を抑えるために。臭いものには蓋?恥を知れ恥を!
予防学。いやー想定外でした。上り坂・下り坂・まさか!

みなさんもお気をつけ下さい!

土曜日, 8月 16, 2014

バイバイきーーーん!

人に出会うことはその人との別れをすでに含んでいる。
その出会いは刹那であり時に一生のものとなる。
その別れは一瞬であり時に今生のものとなる。

人と出会う際に抱く感情はときめきや驚きといった過去・現在との接点から昇華する。それが一時的が恒久的かは本人次第である。当然相手次第でもある。

人と別れる際に抱く感情などは過去・未来を包み込んで喜怒哀楽を基に心に刻まれ思い出になる。関係性が深いほど財産になり、別れは新たな関係性を生み出す。

出会いも多い。でもそれは別れも多い。その反面出会いを生む。メビウスの輪。その味はイカリングだ。

今日さよならを交わした彼女。たくさんの笑いやアクティビティを共有した彼女。新たなキャリアアップのためにここを経つ彼女。チームとしての彼女。友達としての彼女。一切恋愛対象としてはぐっとこなかった彼女。

彼女にとって僕はどんなおっさんやったんかいな。。。

僕を含め送る人たち。の人たちの別れもすでにある意味で包括されている。
相手が先が自分が先か。卵が先か鶏が先か。

good luck

この今という時間に乾杯、そして完敗。

金曜日, 8月 08, 2014

読んだ本・その30(173)

博士の愛した数式 (新潮文庫) [文庫]
小川 洋子 (著)
新潮社 (2005/11/26)

単行本を手にしたのはこんなにも前だったのかと出版された日付をみて感慨深くなりました。正確な日付はわかりませんが05年から06年の間に日本に一時帰国した際に手に取ったことは確か。

ラジオ番組の好きなパーソナリティーがお勧めだと。そして人生で始めて自分の金で読みたいと思って買ったこの小説。当時も読中・読後ずっとこのタッチの文章に触れていたいと思ったのは鮮明に記憶しています。

あるひょんなきっかけを経て、もう一度読みたいと文庫を購入。当時抱いたのと同じ感想はもちろんですがそれ以上に深く深く心と脳にずっしりと横たわる喜びや幸せという類の感情。
それは博士の語る数学と数の美しさに対して素直な感動と尊敬を持てるようになった現在の自分。

ライフサイエンスを仕事にしてる以上、いつも感じる生命の奥深さや複雑さ時に見せる乱雑さ。知恵と知識を組み合わせ小さな脳から仮説を立て答えを求める作業。それは現象として僕の前に立ち尽くす。その現象を定義という段階で物理学や数学が顔を出す。その数という存在。無限や普遍という性格を持つ彼らは神なのかそれと点なのか空なのか。

約10年前に手にした時には思いもよらなかった新たな世界に少しの驚きとそれを教えてくれる博士への敬意。アカウンタビリティの必要性が謳われる昨今の科学で、こんなに数字だけで人を魅了することが出来るという衝撃。もっともっと探究心もって今ある目の前の問いに挑まねばと思ったのでした。

さらに10年後この本を手に僕は何を想うのだろうか。。。