土曜日, 1月 04, 2014

読んだ本・その1-2(144-145)

1985年 (新潮新書) [新書]
吉崎 達彦 (著)
新潮社 (2005/08)

1995年 (ちくま新書) [新書]
速水 健朗 (著)
筑摩書房 (2013/11/7)

この2冊はある年に焦点を当てて、縦の歴史で物事を捉まえる方法ではなく横に広く時代の空気を俯瞰しながら過去未来を覗くというスタンスです。ある年といっても前後2年間を含んだ枠組みで見ているといったほうが正解かもしれません

1995年の冒頭で筆者は1985年を参考にしたと言及しています。こういった定点観察的なアプローチって面白いなと思って2冊セットで読みました。

85年に関しては僕自身は当時の記憶は全くと言っていいほど無いのですが、起きた出来事を並べるとこうも色んな事が起きていたのかなんて思います。項目を書き出すとキリがないので割愛しますが、まだまだ上昇気流の空気感が漂っている感じですね。でも約20年の変化の凄さにちょっとあっけにとられます。スパーマリオが発売されて熱狂していた時代に今のようなオンラインや3Dゲームなんて。当時家電の時代で携帯電話にスマホなんて。世代間ギャップって言葉はこういった出来事で追うと実感せざるを得ないんだろうなって。当たり前になった事って当たり前じゃなかったし当たり前でなくなるんですよね。

95年は中学生だったので、色々鮮明に覚えています。阪神淡路大震災とオウム事件というキーワードが前に出てきますが、それ以外にも本の中に出てくる言葉も実感として脳に残っていますがちゃんとした意味を理解するまではなく、知っているというより耳にしたことがあることを口にしていた程度なんだなぁと。あと今こうして比較対象を持って見れるからこそ生まれる感動や驚きがたくさんありましたねー。

2つの主な感想が生まれました。1つ目。日本がやってのけた「総中流」という社会のもつい見の凄まじさを感じました。
この中流によって国内から勃興した出来事って、結構すごいことばかりだなと言うのが感想です。
全体的に満たされた世界だからこそ成し遂げられた生まれたものってたくさんあるだと。同じようなことは格差社会と言われる今では軋轢などで消えてしまうことが多いんだろうなって。

2つ目。きっと2011年や1998年という本を書いても同じようなことを感想に持つんだと思いました。
要は流れていく時をどう見つめなおすか。歴史は繰り返されるといいますが、読みながら新しいことが生まれる下地って突き詰めれば似ているし、世界で起こっている軋轢や衝突なんかもそもそもを詰めると似てくるんだと思います。それに気付いたり何かを見出して応用できるか。そういった意味でこういった作業は意味があるなぁって。

2005年という本が出たとしたら、それは僕が海外生活を始めた歳なので日本国内への見方はまた違うだろうから楽しみです。

兎にも角にも「へー!」「ほー!」「そうなんや!そうやったんか!」が多すぎて。。。いつも何か感じたりした部分には付箋を付けて読むのですが、まぁなんと付けた箇所の多いこと。付箋まみれになってしまって。本に毛が生えたようです。本望です!(サブ。。。)

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