水曜日, 4月 29, 2015

眺めていたある街の景色の向こう側

統計的なものを踏まえて書くともっといいのかもしれないけど、単純に色んな点が線になったので記してみようと思う。

こちらに来て思ったことは「車椅子の人をかなりの確率で見かける」。バスや路面電車などでも。
1) その人たちへの公共交通機関の設備が揃っている。
2) ある意味でそういった人たちでも積極的に外へ出かけれる土壌がある。
3) 車椅子(電動の新しいものから従来の型まで)の価格が高くない、あるいは補助金等で安く買える。
などなど考えていました。

今日ふと。そういえば若い人って基本的に見ないなと。

職場的が病院エリアなので敷地内では見かけるのですが、スーパーマーケットや交通機関に街角だとある程度の年齢層以上の人が大半な気がする。

ではなぜ。
この人たちはひょっとして朝鮮・ベトナム・湾岸戦争等で負傷した方々なのでは?
軍と言う職に従事していた以上、精神的にも肉体的にもタフであると勘案すると、街に出かけること生活を全うすることは当然可能であるのでは?

年齢層も上手く当てはまる。
地上戦から空中戦にある程度移行する過程で負傷者の種類も変わってくる。

完全な自己的な考察に過ぎないのですが、悪くない仮説なのではと思ったので。
でも、そうなるとちょっと考えてしまいますね。この方たちの負傷の上に今がある。接し方とか考えるべきですよね。

金曜日, 4月 24, 2015

17冊目2015(204)

私が弁護士になるまで (文春文庫) 文庫
菊間 千乃 (著)
文藝春秋 (2015/1/5)

菊間さん弁護士になってたんやー。
めざましテレビの朝のレポーターのイメージが強く、ビルからの転落事故から復帰なさった辺りまでの記憶しかなく、その後言われてみれば消えたに近かった。こうなられていたんですね。

タイトルにあるように、ちょっと司法試験の合格への道に詳しくなります。
僕自身は予備校時代の二年間、特に二浪目を思い出しました。

興味深く読んだのは「すべての思考は記憶力に始まる」という箇所。
学習指導要領が変わった時、ゆとり教育になった時、言われたのが考える力などといった詰め込み教育からの離別。僕は必ずしも詰め込みは悪くないと思う派です。

大人になってリテラシーが付いてからだと、暗記が詰め込みとは違うのを理解した前提で向き合えますが、子供には大人でも高度なことを押し付けても?と思います。
詰め込んだ上でそれを上手く繋げれる授業を出来る先生が居れば鬼に金棒。でも、何も無いのに考えろと言うのもねー。
小さい時に覚えたこと(覚えさせられたことも込みで)って結構覚えてると思うんですよ。

ここでのポイントは覚えたことを理解し他のものとリンクさせ自由に引き出せるということ。
思考のために覚えておかないとどうしようもないことをどう残すか。
そういったことをちょっと考えさせられました。

司法関係にお世話になったことが無いのでちょっと当事者性を持てないので、実際に法律に真剣に向き合う機会が来た際、この本の記憶が蘇れば素敵だなと。
とりあえず、かかわりの深い酒税は少し勉強しようかな、飲みながら。。。あほか!!

水曜日, 4月 08, 2015

意識の無意識化

新しい寝床に移って4か月。
最近前に比べてノイズが減ったなって。
移った当初、生活音にうるさいなって。
でも、今思うと前の住処はハイウェイの傍でもっとうるさいと言えばうるさい。

そこでハッと。
ノイズキャンセリング!
環境に慣れるというのは無駄を意識しないようになるプロセス。
だって日常なんて情報で溢れている。リテラシーとかいって、その取捨選択を日々してる。意識してるだけでそれだけあるなかで、いかに日々無意識があるか。

でも再三ここで無意識の意識化と言ったことを書いている自分が居るので、なんか新鮮でやられたような。パラメーターとかチューニングできてこそ見える世界。

環境を変えると微妙に変わるその設定。
最近感じるなんか前と違うケミストリーはそれなのかも。
マインドセットって変えてみるものですね。

引っ越ししてよかったって思ってます。寝床だけを変えてその他は特に変わらない。
面白い経験です。
それを変わらないあの飲み屋で書く。
くぅーーーー、明日もぼちぼちいきましょう!

金曜日, 4月 03, 2015

16冊目2015(203)

知の考古学
ミシェル・フーコー (著), 慎改 康之 (翻訳)
河出書房新社 (2012/9/5)

ようやく読み終えました。読み切るまで8か月ぐらいかかりました。気合いを入れて読み始め挫折して、他の本に浮気する。これを何回繰り返したことか。
難解でした。文章が頭に入ってこないんですよ。でも所々でビビビと来る。その刺激のおかげで今年の初めに出た論文の構想は生まれました。思い入れのある本ですね。でも難しいよ。
そもそも、訳こそあれ、俗にいう原著です。フーコーを研究している人が居る中でフーコーをサクサク読めたら天才ですよ。そう、世界が違う。哲学には興味を持ち始めましたが、その分厚さにシバキ上げられました。暴力ではなく知で。

前置きが長くなりました。これから述べることはひょっとすると全く持って間違った解釈が入っているかもしれません。僕の自己解釈の部分があります。ただ、僕がビビビときた箇所から導き出して総説の構想に行きついた経緯を最後の解説から鑑みるとあながち間違いでもないかもと言うのが本音。という前提でつらつら記していきます。

僕たちが疑う余地もないような言説とか言表(言葉・語・概念が示したり意味したりする事)を深く掘り下げます。どういった性質や規則性があるのかなど。
今使われれていることよりも本質的な部分を詰めていきます。
XXXの病気に効く薬のもつ本来の作用機構とか構造とかを観ていく。
なぜなら「病気に効く」が歴史や生活の中に浸透してしまって、そもそもの意味を意識しなくてもよくなっている現実があるから。効くし!うまいもんはうまい的な。
パソコンって普通に使っているけどメモリーとかCPUとか「そもそも」系を厳密に理解してます?みたいな。

連続性。つまりは歴史的なこと。既知と言うか馴染んでること。意識しない事。当たり前とか常識とか。
それらよりもそれ自身、本質的なことに着目してこそ見えるもの。それらを並べて見えてくるもの。バイアスのない即したもの。
そこから見える世界。可能性。気付くこと。感じること。
「XXXって言われてる」ではなく「YYYの可能性も!?」みたいな
飲み会的フレーズ「実のところ」「敢えて言うと」「逆に」「実際の話」「みんな気付いてないけど」「俺だけかな思ってるの」なんぼでも出てくるわ!

今を生きるからこそ、過去をベースに存在する。見た目に今の自己と同時に存在するものは同等的になる。でもそれのベースを辿ってみる。
その行為をフーコーさんは「考古学」としたのかなと。
こう書くと「そうや!」となるんですがこの行為を厳密に正確に、いや適当にでも僕らは日々実行しているのか。

洗剤は油汚れをとるけどどんなメカニズムで!?証明済みだから存在する。
ビールは酵母の発酵によって。でもその厳密な違いは?酒と焼酎とワインとビールの違いは?

そして、僕は事実を並べることで本質的な問題点が見えてくると信じたんです。ただただそれ自身の持つ「過去に論文としてちゃんと世に出ている」情報を羅列することで。
後にそのビッグデータを分析する可能性をこの本が与えてくれました。そして、なぜか出来る確証を持ったんで方針を決めた自分が居たのです!フーコーさん!

僕の総説の評価は今後どこかで個人やチームやメディアや業界や集合知でされるでしょう。でも、それも現時点で考古学の対象としてあってほしい。「XXXだから」ではなく一つの存在として。

サイエンスと哲学ってリンクしますよ。とくに基礎研究に身を置くと。だからこそこれからも知の巨人と話していきたいですね。

こんな僕。。。かっこよくない!?まじで!!!もう一杯飲んじゃう!!!
ダメだこりゃ。。。



火曜日, 3月 31, 2015

おもてなしのおもいやり

日本代表。監督が変わって2試合。なんかいい感じのようです。一喜一憂せずに見守りたいです。

2015/03/27の試合相手。2-0で勝った試合相手。

チュニジア。

テロがあったチュニジア。日本人を含む21人が犠牲になりました。29日には犠牲者の追悼デモがあってイタリアやフランスの首相が参加されたようです。

日本語のgoogleのニュースで「チュニジア」と検索するとテロ関連のニュースが、日本語のyahooのニュースで「チュニジア」を入れるとサッカーの話題が。

試合前に何か黙祷的なものがあったのか分からないけど、その国から足を運んでくれたチュニジアの選手たち。
震災後に日本代表が出かけた時はどうだったかな。
規模とか自然災害とか色々状況は違うだろうけど、そういった所から伝えるメディアがあってもいいのかな。あるのかな。でも、表に出ないのかな。yahooのサーチがマジョリティーかな。

ふと、思ったので記録しておきます。
日本は4月1日ですが、この思いはウソではないですよ。。。

金曜日, 3月 27, 2015

15冊目2015(202)

まずいラーメン屋はどこへ消えた?「椅子取りゲーム社会」で生き残る方法 (小学館101新書)
岩崎 夏海  (著)
小学館 (2013/6/3)

この本。書きだしたらつらつら書けます。でも本質はそうでない。
つまりは考えされる部分が多いんですよ。

特に生き方とか起業とか、あえていう個人事業主には。
つまりは生きる術で悩んでいる可能性が高いから。

就職活動で言う、自己分析の究極系です。
誰に何を伝えたい、自分が何をしたい。その手の。
ただこの書で言うのは、誰とか何とかの見極めです。あなたの見極めは浅いんじゃない?だから、悩むんだよと。気付きなさいと。

ここではそれをマーケティングとイノベーションで説明します。
そんなん知ってるよ。特に目新しくないよ、ばーーーか!

それが今さっき述べた「あなたの見極めは浅いんじゃない?」につながります。
発見や発明は見つける・気付くから意味があって、あったものを「なぞる」ことで知ってるように語っても意味ないんです。飲み会で意気揚々と語る以外は。
社会・ビジネス・競争は生き残らないと何も語れないんです。だからこそ、その何を考えるの!?そのモノの見方がたくさん載ってます。

ちょとね、僕も考えないとと思いましたよ。成功者から学ばないと。本当のターゲットはだれか。ちょっとずれてるぐらい!?

まー、いつも酒のターゲットに会ってる僕は何から逃れるからですけどね。。。

月曜日, 3月 23, 2015

8181!48ra1!!

おーーい、おっさん!
なんだかなんだな。

おーーーい、おっさん!?
もうそんなじきけ?

ははは、わいわい、ぐるぐる、まわるまわる、そんな日常。
そんな中で、おぬしはどうじゃーーー!?

嫉妬妬み、お前できるやつ、そして腹立つ、のりのり、岩ノリがっちり。

あーーー、もう!!
理不尽、マウンテン富士!!

ありがとうござんすーsusussus--

やっぱり楽しいおまなんなーXXXごんくさい!!

>追記 3/23/15 at 1 pm
昨日ウルフルズ再結成を追いかけた情熱大陸を見て、なんか意味もなくそれっぽい歌詞を酔っ払いの勢いで書いたのでした。。。
にしても意味不明やな。。。笑

木曜日, 3月 19, 2015

節目

米朝師匠がお亡くなりなりました。

僕の理解では、上方落語の復興・発展に尽力されてたくさんのお弟子さんを輩出され、上方演芸に多大な影響を与えた米朝師匠。

ご冥福をお祈りします。

これから大変ですが踏ん張ってくださいね、ざこば師匠。


去年から本当に昭和といううより一時代を築いた方たちが旅立たれていくように思います。
それがある意味で新しい時代への変遷なのかもしれないです。
そして新しい世代とは、当事者たちが評価するのではなく後世。今の若い世代がその存在を表現していくんでしょうか。

回想でき回想されるような渦の中でごにょごにょ生きれたら贅沢なんでしょうね。あつ意味でおもしろい世界。僕も住みたいです。


月曜日, 3月 16, 2015

14冊目2015(201)

知ろうとすること。 (新潮文庫) 文庫
早野 龍五 (著), 糸井 重里  (著)
新潮社 (2014/9/27)

本音と建前。そら、僕も使ったことあります。みなさんはどうですか?
それが回る世界と回らない世界があるのも真実。
では、回らない世界で使う建前とは?

読み手によって糸井さん側と早野さん側に分かれて対談を追うことになるのではないでしょうか。漫才で言うボケが好きかツッコミが好きかと同じように。
人としてと専門家として。こう対比すると糸井さんが前者で早野さんが後者に捉えるのがこの本の内容的にしっくりくる構図でしょう。でも時に早野さんの方が人間的で、糸井さんが専門的なことを理解した振る舞いを取るような描写がこの本の醍醐味かもしれません。

糸井さんが本書の最初の文で発する言葉
「でも、何か騒ぎが起こって、科学的な意見と非科学的な意見が飛び交って、その騒ぎの中で自分が大切な判断をしなければいけないような事態になったら、必ず科学的に正しい側に立ちたい。」

この本はこの命題をいろんな方法で調理して読者にアクセスできるようにするプロセスとも言うのでしょうか。

その科学的に正しい事実を提供する人とは。最初に述べた、本音と建前が回らない世界で本音を話話す人についていけますか?
その辺の人として専門家として、それを信じる信じないの振り幅を、福島原子力災害を考えたり当事者に抱えれる人(日本人とは限定できない多きさと地域間の齟齬を悲しいかな踏まえて)に届いてほしい本です。

この一つ前に読んだ本(STAP細胞に関する)の後だけに響きすぎた面はあると思います。でも、その本の読後に感じたモヤモヤをクリアにしてしてくれるほどの早野先生の言葉と行動に僕自身も気を引き締め進みたい(”進むべく”ではない)道を確認できた事に喜びを噛みしめるだけです。
最近手に取るもの(本だけでなく色々なモノ、経験や行動も含め)に何か線を感じることが多いです。その線が途絶えないようにしたいですね。

この本、ぜひ手に取ってください。
http://www.1101.com/shiroutosurukoto/
もし少しでも放射能に不安があるなら。不安を増幅することだけは無いと思います。不安の増幅は不安に不明瞭な不安が刺激を与えることによって生まれるから。

読んでほしい人がたくさんいる。酔っぱらったらみんなに配りそう。宣伝部長やりますよ笑

brainのブラインド

先週からday light saving time(サマータイム)が始まって時計の針を1時間早めました。その日は7時からの予定は前日の6時に集合みたいな。僕も過去にこの過ちでインドアサッカーの試合終了後に意気揚々と現れました。

***

今年は驚くぐらい天気がよくい日が多くもうこちらの桜は満開です。気候もよく春を感じる毎日です。あっ、もう桜が葉桜になってるやん!昨日も、あー知らん間に日が長くなってきたなと。季節の移ろいを感じます。

***

はてさて、ここで2つの事実が完全にリンクできてない馬鹿な脳みその話です。

もちろん日が長くなっているのは当然なのですが、ふと気付くぐらいに長くなったのは当然サマータイムが始まったせいです。そんなの1週間前に意識し行動し始めているのに、見た目の現象に普遍であると思っている時計を見て「おーー!変わった!」。傍から見ると馬鹿げた話です。

でも、こんな風に脳内で感じている2つの事実を結び付けれていない出来事って案外多いのでは?シナプスの結合。昨日このトラップに気付いて思ったのです。
普遍的なものの変化。法関係とか規則に習慣とか。実際にアナウンスされて変わる事実に気付いても、その変化を実体験として意識するまでに要する時間って結構ラグがあったり。

そして、この2点を繋げる事が出来てから見える世界はまた違うだろうし、大きなグレーが含まれているような気がしたのでした。
脳の勘違い。それを補正する意識。視覚や聴覚ではない理屈的なものの理解。第六感の原点はこんな所にあるのかも。なーーーんて。

第七感(セブンセシズ)を開花ささせるために、今日も飲むか?君はコスモを感じたことはあるか!?
それは二日酔いやねーー。

金曜日, 3月 13, 2015

13冊目2015(200)

捏造の科学者 STAP細胞事件 単行本
須田 桃子 (著)
文藝春秋 (2015/1/7)

感じること・考えること・響くことといった感情に訴えかけるものと、ある意味で当事者性をもって自分にフィードバックしながら読む自分。
自分にとっては相当にヘビーな本でした。

縮図

これにつきます。
性善説と性悪説。
あるべき人として・科学者としてと、組織の人として・生きるための人として。
理想と現実。
どうありたいか、どう見られたいか、どういきたいか。

葛藤ですよね。
人は疑うし距離を取れる反面、無垢の信頼をもってしまう。
ある意味での脆さとど厚かましさですね。

この本の中でかなり見える世界はあるんですが、全く見えない世界があるんです。
小保方さん自身の胸の内。
ハーバードのバカンティ教授の胸の内。
そしてここが核心だと。

以前のエントリーにも書いたし友人にも言ったことがあるんですが、本当にサイエンスコミュニティー・世の中・世界を納得させたいなら、GoPro付けて実験してyoutubeに出したらいいと思うんです。
「あります」とか言葉でなく。ケツと筋を通さないと。それがPhDという貰った責務でしょ。関わった人には思惑があるでしょう。でも当人が本当に自信があるなら。そしてサイエンスが好きなら。

最近professionalなのとjob, hobbyという立ち位置を考えます。どれが一番フェアなのか。逆説的にフェアであるべき仕事とは何なのか?

この本もある意味で論文みたいなものです。
現実の科学者はデータにはフェアであるからこそ、ディスカッション(考察)で持論を展開できる。これが醍醐味でありたい。そしてもちろんデータを得た時の感動にも。

小保方氏の側に立つわけではなく、すべてが完全な虚構では無いのでは!?というのが読後感です。それを検証する委員会であってほしいし、それを訴える科学者であってほしい。そして、そうありたい。そのためには身を粉にする。それぐらい情熱をもってしたい。それがサイエンスであってほしい。

言葉がまとまら無いのが本音です。思う部分が多くて。僕も道半ばということです。背筋を正しながらも、遊び心を忘れずに。

200冊目と言う節目。乾杯!!飲むんかい!!

3月14日追記
一つ書き忘れ。アメリカでこの騒動が本になって出版されているか調べたけど、僕のサーチでは全くヒットなし。騒動は日本だけの内輪なものだったのかもしれないと思ったりも。

火曜日, 3月 10, 2015

翼の回転数

僕の働いてるエリアには病院が多数あるため頻繁にドクターヘリの発着を見ることができる。

時にヘリの風圧を感じることも。一刻一刻を争う生死の狭間をヘリの爆音を聞きながら深く考えたのは今日が初めてかもしれない。

ヘリは医療現場ではヒローとなり報道現場では悪となる。同じ爆音を出しながら。
バス停で今着陸しようとするヘリを眺めながら両者の意義に戸惑いながら立ちすくんだ。

4年目の3月11日。

もう4年ですか?まだ4年ですか?
この問いにも立ち尽くすしかない自分がいる。

今年も精一杯生きようと思う。1時間半ほど早いが献杯。

火曜日, 3月 03, 2015

12冊目2015(199)

青春の上方落語 (NHK出版新書 422) 新書 笑福亭 鶴瓶 (著), 桂 南光 (著), 桂 文珍 (著), 桂 ざこば (著), 桂 福團治 (著), 笑福亭 仁鶴 (著), 小佐田 定雄 (編集)
NHK出版 (2013/12/6)

謎が解けました。と言うよりも、無意識が意識になる気付きですね。
僕は過去噺家さんや芸人さんの生い立ちや生き方・考え方を知るのが好きで、その手の話題になると食い入るようにトーク番組を観ていました。そして、ここ数年書物としても手に取るようになったのです。
なんでこんなにそそられるのか?好奇心がわくのか?いまいち根本的な回答はなく、芸人さんの生き方に興味があるという、自分のお笑い好きから派生した深入り的に思っていました。

自分が今のサイエンスを仕事として始めるようになって、人とのつながりやテーマ・プロジェクトのタイミング、競争相手や協力者など良くも悪くも深い人間模様と時代の変化に接する機会を得ています。その中で僕はとてもワクワク子供のように喜怒哀楽と好奇心をもって生きているのが現状で、当事者や傍観者として贅沢な時間を過ごしているのです。

そう、やってることは違えどきっと芸事の世界も似ているんですね。師匠との出会い。先輩や後輩の存在に、時代の機微などなど。どこか共鳴していてなにかを感じたかったんですよ。そして、それはスポーツにも言えること。
果たして、僕自身小学校から高校までのバスケ、大学時代のラクロス、アメリカに来てからのインドアサッカーとサーフィンなど振り返れば出会いとかタイミングに彩られた、苦くも甘くもある思い出なんですね。

さてようやく本書の内容ですが、さすがの師匠方ですよ。出会いや引きの強さや強運など。そしてそれ以上に苦悩し苦労した時代も含め。
そういった生き方に興味のある人はニヤニヤしながら読めますよ。

そして絶対に言えること。みなさん真剣に落語にと生き方に向き合っているからこそです。
さて僕は。。。drink first, then think about...

土曜日, 2月 28, 2015

10,11冊目2015(197,198)

一度、死んでみましたが 単行本(ソフトカバー)
神足 裕司 (著)
集英社 (2013/12/13)

歌に私は泣くだらう: 妻・河野裕子 闘病の十年 (新潮文庫) 文庫
永田 和宏 (著)
新潮社 (2014/12/22)

本来一冊ごとでコメントを付加できるだけの重みのある2冊をたまたまた連続性をもって読めた事実。これに対して誠実に答えるなら2冊の感想で記録すべきだと。

死と生

誰もがさまざまな角度から関連性をもって無意識と意識の狭間で葛藤する課題でしょう。
前著は死から生を得た状況に。
後著は死に向かって進む生を。

どこか交差するようでしない。でも葛藤は共有する。当人とそれを取り巻く親族・知人を含めた。

そして両当事者とも表現者であるという接点。
死から生還し、文章を残すことで生をそして自己を変化を葛藤を表現する。
死に向かい、短歌を残すことで生との接点を求め遺す作業。
それらを汲み取れる周りの存在があってのことで、だからこそ書物として残ってはいるのですが、果たして自分がそのような状況で何にすがるのか。

読書の底辺または少し空的な所に存在する命題に目を向けるか向けないか。
僕はどうしてもそっちに気が向いて脳みそに重く響く2冊になりました。

生命はタフだか精神はもろい。生命は精神に寄与し、精神は生命に関与する。
メビウスのリングのようなパラドクス。これが生きるという事。
偶然に連続性を持てたこと。その後に起きたサプライズ。人生は豊かでかつ残酷な寄せ付けない存在。だからこそ探究すうという。
釈迦の掌は大き過ぎます。

何杯目?4杯目!そのまま掌で寝そべっていてください。。。

火曜日, 2月 24, 2015

9冊目2015(196)

工学部ヒラノ教授と七人の天才 単行本
今野浩  (著)
青土社 (2013/3/22)

去年のテレビドラマ・ガリレオシリーズのキャッチコピー「天才、変人、再び。」
まさしくそれを地でいくようなエピソード。として読まれがちになりそうですが、そっち側の人間からすると腑に落ちる点がそこらじゅうに。この辺の業界感を知るにはいいと思います。

とはいっても、工学・数理と生命科学ではまた微妙に違うのでその辺の比較が当事者にも面白く読めました。あと学内・学閥ポリティクス。体験してしてない僕には面白くそしてちょっと恐ろしく、お化けをみるかんじですね。でもこれも知らないと大変なのかも。

工学・エンジニアと数学の交差が医学・応用系と基礎研究の交差を見つめる上で参考になり、なぜ経済学をやるには数学が居るのかもなるほどと。他人の芝は青く見えますね!自分がこれらの勉強を避けてきたことへの後悔を痛感しました。

そして、やはり魅力的な研究者が昔は多いなとも。抜きん出た才能って今は出にくいのかな。ハングリー精神というものが如何に活力になるかの例もここにあったので、やはり現代はいい意味でも悪い意味でも豊かなんですね。数学的な経済的な工学的な考え方・モノの見方。そしてそれらの繋がりようは一つ前に読んだ本と共になにか今後の研究に楔を入れられたような気がします。いつかはっと気付けるように。

おわりにもありますが現代から見ると当時は牧歌的な空気があるように見えますね。もちろん当時の現場はそう思わないとなるでしょうが。それだけ現代の研究・アカデミアというものが激しい生存競争になっている証左なのかもしれません。そして、この手の稼業がやっぱり僕は好きなので何とかレジズトしたいです。むこうはどう思っているか知りませんが。。。

日曜日, 2月 22, 2015

8冊目2015(195)

森の力 植物生態学者の理論と実践 (講談社現代新書) 新書
宮脇 昭 (著)
講談社 (2013/4/18)

今あなたが見ている風景はその地の原風景ですか??
問いかけとしてはこんなかんじでしょうか。

地域開発などで日々変わりゆく景観。それは現代の最新技術を駆使した設計で彩られたもの。これなら。などと思うニンゲン。
しかしこのニンゲンは知っている。如何に自然の前では無力であることを。
地震やハリケーンや火山活動などでグーの音も出ないほどに。
ニンゲンと同じように自然も自然に負けるのか?
何を酔っ払いのコメントのように言っているのか?僕は至って真面目である。
その自然をどこまで評価しているのか?と言う問いをこの本は提示してくれたから。

あのおっさんは酔うとケタケタ笑いだし、グラスをまわしゲーゲーゲップをしながら真面目な話をしたかと思うと下ネタを発し、メールですまぬと詫びてしらっと言う「断片は覚えてる。家帰ってカップヌードルを食べていた。」
それは彼の自然な振る舞いで、本来な振る舞い。で、仲良くなれば織り込み済み(であってほしい。。。)のである。しかし、知らない人には面食らうであろう。それは知らないから。でも彼は言う、僕は僕だ!

あの森やあの景色。気付けはそこにあったもの。だけど。。。!?

いかに、人為的なものを原風景だと思っていることを知るでしょう。そしてそのクレームの対象がクレームを付けようもない過去であること。張りぼてだった真実。
でもあえていうとそれは真であり、僕たちの生活には必要だった。
では、ニンゲンって何??
またー!大げさな!を打破する論拠が実際に震災での実績で証明されているからこれが重い。

歴史と科学。地産地消の地に住み、住みやすさを享受する。果たしてその歴史は本当の歴史なのか?

長く強く負けずに存在するもの。案外灯台下暗しwith 知識暗しなんですよ。

自身の研究について少し考える種をまいてくれた気がします。そして、根拠のない何かが芽生えた気もします。個人的にはとてもいいタイミングで読めました。酒ばっかり飲んで枯れないようにしないと。。。

7冊目2015(194)

日本開国 (アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由) 単行本
渡辺惣樹  (著)
草思社 (2009/11/25)

歴史の教科書から試験で点数を取るために覚えた出来事。
日本史と世界史はもちろんリンクした事象なのですが、どうも別のカラムで流れで覚えてている。なぜなら点でしか覚えてないから。
しかし、歴史である以上線であって関連している。一見無関係な点も大きな影響や引き金だったり。
そして、今知ってる事実は実はその点を正確に紡ぐことで変わってしまう。

ベリーが開国を求めたのは捕鯨船の停泊や燃料補給のためというのうのは。。。実は!!

その歴史の機微が焼き鳥のように事象が串になって美味しく味わえます。その味の深いこと。

身近な話で言うと現在の生活地であるアメリカ西海岸の歴史というのが意味深く、先日訪れたサンフランシスコの存在意義とそれを含むカリフォルニアを巡るメキシコとの戦い。オレゴンと言う土地。
日本の開国に関連した地に今いる日本を離れた日本人がそれを知るのがアメリカで読んだ日本から取り寄せた本。太平洋!!!って感じですねー。

細かい点を付加すると、アヘン戦争とアメリカのアイビーリーグ、シーボルトと国家機密、イギリス・アメリカのアジアへのアプローチ、漢学・蘭学・日本語と英語を絡めた知識知人の語学力、などなど。中国・日本・アメリカの政治的距離感はずーーーーっと変化しつつも解体できないんだなと変に腑に落ちました。

昨今の中東情勢から感じいる、歴史を吸収しないと今の世界を正確に観れないなと痛感。
酔っぱらってるお前に何が見れる!?ビアメニューonly...

金曜日, 2月 13, 2015

6冊目2015(193)

スローカーブを、もう一球 (角川文庫) 文庫
山際 淳司  (著)
KADOKAWA/角川書店; 改版 (2012/6/22)

スポーツをすると言ってもプロからアマチュア、さらには初心者まで。でも、それに取り組む行為の発端は気分が乗る乗らないにせよ自発的にしか起こらないのでないだろうか。
その自発性が自主的、定期的、本格的、競技的と勾配がかかって最初に述べたようなカテゴライズに落ち着いていくのでは。

そんなスポーツに取り組む人たちのドラマが当事者性を持つかのように描写されたのが本書です。
そのドラマはプロ野球やワールドカップ・オリンピックと言った大舞台をイメージしたならそれはスポーツにコミット出来てないんじゃない!?と言わんばかりに変化球が投じられてきます。

高校野球(甲子園とその予選)、ボート、ボクシング、ファームのピッチャー、スカッシュ、棒高跳び。唯一のプロの話は江夏の21球。

「これだけ揃えたらどこかに共感できるだろう」なーんて思っているのら是非読むべきでしょう。何かに熱中したことは誰にでもあるはず。そんな高揚をもって読めばなんか切なくでも愛おしく感じる自分・回想する自分がいるはずです。

文庫本の背面に「人生がゲームのようなものなのか、ゲームが人生の縮図なのか...」とあります。そう、この本のように各人の行うスポーツ。マラソン、サッカー、草野球、ゴルフ、テニスにボーリングも入れようか。思い考え動く個人のケミストリー。
その化学変化に関与しませんか?ってこれを読んだ時点で関与してるんですよ!!
はい、ヨッパライ!万歳!

日曜日, 2月 08, 2015

5冊目2015(192)

イスラム国 テロリストが国家をつくる時 単行本
Loretta Napoleoni (原著), 村井 章子 (翻訳), 池上 彰
文藝春秋 (2015/1/7)

ちょっと頭をガーンと叩かれたような感じです。自称イスラム国を名乗る彼の地域を支配している人たちがどういう人なのか、分かりやすく解説しあります。僕にはそれと同時に色々な事を考えさせられる本でもありました。

正当性。つまりは歴史。ユダヤ人にとってのイスラエルと相対化することでそれが見えてきます。これが竹島・尖閣・北方領土と違うのは宗教が絡むからでしょう。どこを基準にするのか?これは僕らの過ごす社会でも起こりうる。

そして麻痺の恐怖というもの。中東って僕が生まれてこの方ずっといざこざがあるわけで、空爆だ侵略やテロやら。30年以上もこんなん続いたらどうなるか?その現地の人の当事者やあの地域の空気感の欠如が一番危険だなと。そしてそれを考えてから読む空気は変わりました。

これらの要素のために状況的に常に失業や貧困が起こる。笑ゥせぇるすまんの喪黒福造ではないですがココロノスキマがある。そこに言ってしまえば企業のようなマーケティングとリサーチで練りに練った戦略的方法でその隙間にアプローチする。
だれにリーチする。ストーリー性。ロイヤリティー。これらによって隙間が埋まり共感と熱狂が生まれる。
民主党に期待した時、あるいは小泉政権と同じような構図でしょう。

武装集団といった人たちを何年間も根絶させようとしてできなかった。中途半端で終わってしまったツケによって今の状況がある。

そう、この集団は現代が生んだ鬼の子なのだと。僕たちはどう向き合っていくのか?そして絶対的な価値感って何なのだろう?
教育の重要性を感じましたね。そして道徳や倫理と言うものの果たす役割も。

読む価値が十分あります。ガーンと叩かれすぎて頭が。。。それは単なる二日酔いでは??

水曜日, 2月 04, 2015

汲み取る・感じる

先日ですが一時の話題を掻っ攫った「the interview」を観て来ました。

友人評はイマイチとの事だったのですが、僕自身の感想は良く出来ている!でした。
細かいあの国の内情を調べて描写していたと思います。そのバックグラウンドがないと飲み込めない部分があるのかもしれませんね。


ここからが今回の本題なのかもしれません。
前出の友人は俳優さんの演技に関しての感想が大部分を占めていました。アカデミー賞といった賞がある以上、目がそこに行くのは仕方ないかもしれませんね。
数週間前僕が好きな映画(邦画)への批評をしている動画をyoutubeで観ました。演技やストーリーといった部分に関してたくさんの批評をしていました。

上記のそれらはそれで間違っていないのかもしれない。でも僕は違うと思うのです。
監督が何かを伝えたくて作品にするわけですから、その監督の「メッセージ」に対して批評をすべきだと思うのです。上の2つにはその事が全くなかった。

インタビューで言えばおそらく「無能なボスを持つ悲劇」なのでしょう。それを表現するにはかの国はぴったりです。でも、裏返しにいえばレイムダックとなったオバマへの痛烈なメッセージと僕には取れたのです。
ストーリーの良し悪しや演者の出来不出来云々はメッセージを伝えるための手段に過ぎないサブカルチャーには当時の社会状況が色濃く反映されるのもです。だからこそそれに対しての議論をすることが作り手への敬意となるもの僕は考えます。そして今回思いました。

たまに映画を観るのは良いですね!
それでは、さよなら、さよなら、さよなら。