月曜日, 12月 31, 2018

2018閉店ガラガラ

今年最初の投稿の主たる部分をそのママまずは掲載したい。

ーーーーーーーーーーーーーーー
2018年
100%言える事。

変化と適応

これから起こりうる未来がどのようになるのか予測できないけど、描いている理想と向かい合う(会う)であろう困難、そして試される適応能力。

今のところ、個人的に調子の上がらない傾向が強い年明けの中「ついてる」と思えるラッキーを回収できてるので、求めず自重しつつ最大限のアクティビティーを出せるように。

なので今年の目標は
年末に何とかなったなー!って遠い目で笑いながら酒を飲めるようなマインドセットで過ごす。

難しいけど簡単。なせなら気持ち次第。
簡単だけど難しい。なせなら心が折れるかもしれないから。

センサーを張り巡らせて酒の助けを求めつつ向かい合いますか!One more beer please :)
ーーーーーーーーーーーーーーー

結果なんとかなったなーと思う。
でも、ここまで思うように事が進まないとは思ってなかった。
あとマーケットにおける自分の評価と足りないことを露骨に知れた事は今後の財産だと思う。

七転び八起きとは言うが、転んだ時点で何かとプラスにこじつけれた。
その都度その都度、期待をエネルギーをもって向かえた。
上手くいかない時の向かい合い方はかなりがんばった方だった。
よくもまぁ、心が折れなかった。  

そして人生の中で人の暖かさや有り難さが身に沁みました。
僕らしく生き抜こくことの中から恩返しを必ずしようと思います。

2018年。忘れられない一年になりそうです。
2019年。好きになれるように努力します。
ありがとう!  

木曜日, 12月 13, 2018

2018年35冊目(328)

多動力 (NewsPicks Book)
堀江貴文  (著)
Kindle版・幻冬舎 (2017/5/26)

一つ前に読んだの乃が美の阪上さんの本と根底の所では同じマインドがこの本には詰まっていると思う。実際に、ここで書かれていることは僕自身が意識してたり目指したいと思っている考え方でもあったりする。なのでとてもおもしろく読んだ。

注意すべきは「ホリエモン語録」でもあるということ。ホリエモンが言いたいことをしっかり咀嚼しないと現代社会の荒波の中でもみくちゃにされて「こんなはずじゃなかった」「言ってたのと違う」ってなると思う。本の中にある質問力と同様に読解力が必要になると思う。

1から100を目指すには抜群な考え方だと思う。面白い点は堀江さん自身が「おもしろさ(0から1)」を求めで多動であるという事なのかもしれない。

どうやねんって思う人もいるかも知れないけど、如何せん服役という状況下でもやってのけた実績がエゲツない説得力だと僕は思う。
まぁ、言いたいことをまとめてみるなら。。。ここで一曲聞いてください。反町隆史・POISON(実際、ドハマリな気がするのは僕だけかもしれないが。。。)

水曜日, 12月 12, 2018

2018年34冊目(327)

奇跡のパン 日本中で行列ができる「乃が美」を生んだ「超・逆転思考」 単行本
阪上 雄司 (著)
KADOKAWA (2018/11/19)

筆者は言う「無知こそが原動力だった」と。確かにパンを焼くというパン屋としてはゼロからだったと思う。しかしビジネスという意味ではイチからだった。

作るべきもが明確にイメージできて、それを具現化するための問題点を捉え試行錯誤できる忍耐力。たとえそれがどんなに無謀に見えたり常識を逸することだったとしても。そして、決めた山に向かっての登り方を過去の経験をもとに体現できたからに違いないのだ。人の出会いなどの運も引き寄せれるのも才能だとも思う。

このゼロからに見えて実はイチから。このゼロとイチの間に横たわる大きな違いに気づけるか。イチに気づかすゼロと思っている人。イチと思い込んでいるゼロの人。人に歴史ありです。そして歴史というか道は延びる。イチを百まで続かせる事への挑戦。

あー、もっと必死に取り組まなと思わせてくれました。
ほんで、ホンマにこのパン美味しかった。このストーリーを踏まえてまた食べたいっす。次回は恵方巻きのようにかぶりつたる!!!下品でスンマヘン。。。

月曜日, 12月 10, 2018

2018年33冊目(326)

21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ
佐々木俊尚  (著)
Kindle版

僕は左翼とか右翼とか言った分け方が時代が価値観が多様化した時代背景にあってなくて、保守とかリベラルというのも簡単に括れるものでは無くなってきていると思っていました。

この本は政治的な考え方を歴史から振り返って現代に求められるべき主張というより立ち位置を浮かび上がらせていこうという試みに見えました。その過程で国家とは愛国とは自由とはを考えていきます。
読中読後に思ったのは、今まで真剣に過去の主義主張で起きた出来事の良かったところ悪かったところを顧みて次につなげる作業ってほとんど出来てないなという事。
反省する。傾聴すして主張する。議論の基本のないいがみ合い。セロサムでしか考えられない人間の性とでもいうのでしょうか。その中途半端の上に新たな出来事が起きる繰り返し。戦勝国の反省と戦国の総括から次が握手をすることでフラットにできるのではないかと。
仏教的な無常さ。明日は我が身であること。その認識。まず立ち止まって考える。そのためにこの一冊はタイトルの通りの優しいリアリズムだと思います。

そして今回初めてkindle版で電子書籍として読みました。僕は紙の本派ですが、以前自分がここで可能性を見出した読み放題のシステムを使ってこの本に出会いました。
まさしく、この本のリアリズム的な使って見て考えるを実行できたので余は満足です。
使い放題は可能性の解放。飲み放題は金欠時の神オプション。間違いない!

火曜日, 12月 04, 2018

M-1 2018がおわってしまったぞー!

M-1は霜降り明星の優勝で幕を閉じました。最年少のチャンピオン、おめでとうございます!

テレビをライブで観た後にABCラジオの放送を聞いて、その他もろもろの番組やラジオも拾いながら、もうしばらく余韻を楽しめそうな今日この頃。

今回特に感じた事を残しておこうと思います。
笑わせるという事実と笑わせる技術。ラーメンで言うと味と量みたいな。この2つのバランスの難しさ。これに尽きると僕は今回想ってます。
おいしさ重視と言いつつやっぱり量が気になったり、量がと言いながらもおいしさにこだわったり。満足感か満腹感ともいえるかな。志らく師匠のジャルジャルへのコメントがその一端なのかもと思います。

この量にあたる笑いの量が現場のスタジオでしか体感できない分、テレビで見ている感想との小さな感覚の差を生んだ気がしてなりません。去年はその量が分かりやすいお客さんだったのかなと。たぶんABCラジオの放送を聞いてラジオの方が観客の受け具合がよく伝わってきたのがテレビを見てなんかしっくりこなかった謎をクリアにしてくれました。

あと、えみくじが今回はかなり演者さんをかき回した気がします。順番の妙。でもこれもネタの選択と同じく運の部分。それを味方に付けたから霜降り明星は優勝したんだろうなーって。

これらの要素は日常生活や色んな分野でも当てはまると思うので何とも深いM-1に今年はなりました。

ここからおっさんの戯言。
しがないおっさんの採点表では「かまいたち」が良かったんです。
プラスマイナス来てほしかった。
和牛の2本目は僕にはまるで寓話や童話のような深さを感じた。
一つのコンビにだけ僕は言及したい。ゆにばーす!来年の革命をみせてくれー!

演者・審査員・すべての関わった皆さんお疲れ様でした。楽しい時間をありがとうございました!!あと最低2回は観直すんやろうな。。。

日曜日, 12月 02, 2018

M-1 2018がはじまるぞー。。。!!!

まだ放送までまだ時間あるのに緊張してます。。。
何年ぶりに日本でリアルタイムでみるドキドキ。。。
楽しみやし怖いっす。。。

しがないおっさんの独断による直感予想です。
これは何となくしとかんと。

1:かまいたち
2:和牛
3:敗者復活(プラスマイナス)

伸るか反るか。選ばれた・耐えた10組は日本一の漫才師だと僕は思います。
予想は当たろうが外れようが関係なく、たくさん笑いたい。
運を引き寄せて勝ちを掴んでください。素直に笑って感動して共感してお祝いします。
漫才最高!!Good luck :)

金曜日, 11月 23, 2018

ひ・み・つ

新しいもの発表する時、それは世の中の人に知れるとき。
練習の必要でその過程を経るものもあれば、思い浮かべたアイディアを実践で試す時が本番の時もあると思う。

棋士・羽生善治名人が2006年のNHK・プロフェッショナルの中で、初めて使う手を森内名人との対局で使い勝利を収めた。その後にこの手はもう通じないと思いますと語っていた。

僕がラクロスをしていた大学生時代、公式戦で使うフォーメーションや作戦を練習し時に練習試合言う名の実践で試したりする。練習試合の相手は試しても影響のない相手だ。だから、どこと試合してるとかは相手がスカウティングしに来ることもあるので秘密だったりするだろう。実際に当時なんてどうやってそんな情報を得るかなんて限られている。だから時に仕入れた情報を元にスカウティングにうちにチームとして出かけて行ったことがあったような記憶がある。

それを思うと、今の時代はそんな「練習試合などで試すこと」は果たしてどこまできるのだろうか。個人や団体として情報をSNS上がったりして見つけ出すことはそこまで難しいことではないように思える。それが組織としてしっかり専用の練習場など囲い込みが出来てない限り。

そんなことを思いながら、この世で最初に披露するし「ぎゃふん」と言わせることは個人でない場合に現在どこまで可能なのかな。

何かを作り出すことって意外な面で難しさがあるなと思ったのでした。
これは秘密でない秘密のアッコちゃん!!この一文は忘れてくれー。。。

水曜日, 11月 21, 2018

2018年32冊目(325)

スター・ウォーズによると世界は 単行本
キャス・R. サンスティーン  (著), Cass R. Sunstein (原著), 山形 浩生 (翻訳)
早川書房 (2017/11/21)

常々サブカルチャーは時代を反映するものだと感じてきた。それは作品群がどのような影響を受けたかを時代の変遷と重ねながら論考する色んな本を読んできたからだと思う。ウルトラマンや仮面ライダーシリーズなどを扱った本。食文化やアニメなどに関するのもあった。
そんな中、継続する作品として長きに渡り(現在も進行形で)世代を超えて語られるこのスターウォーズに関するこの本は正直他とは違う印象を感じた。

著者がこの物語の面白さや深さをあの手この手と多角的に解釈してゆく。マーケティング、政治経済、憲法論、文化論に道徳・宗教・家族論。逆にスターウォーズを使っていろんな出来事の理解にも使うという。となんとも守備範囲が広い。大谷選手ではないがまるで投げても打ってもである。メタファーにアナロジーに。隠喩的な解釈の仕方が多彩にできてしまうのだ。はじめに(P15)にある「スターウォーズは現代の神話である」というのがそれの象徴かも知れない。

現代の政治状況を理解するにはとて良い教材のように僕は感じた。トランプ大統領は生まれてしまったダースベイダーなんて視点で話を書けそうだし、実際に本の中ではレーガン革命や2008年のオバマ陣営の選挙戦をスターウォーズで説明しているし、実際なるほど思って読んだ。

ではジョージルーカスが最初からこの神話をすべて書いたのか?そこがミソで
ある。最初の構想がよかったのは間違いないが、よいオチに沿ってストーリーが膨らんでいった側面も間違いなくあったと思う。まるでお題に応える大喜利のように。だからこそ人々はこの話で「ああだったら」と2次創作で楽しむこともできるのかもしれない。

ここまで来て何が言いたいかと言えば、スターウォーズすげー!って事ではない(すごいのは事実やけど)。
最初のエピソード4が公開されたのが1977年。そして最新作は2017年。伝統を守りつつ最新の技術を加えながら40年も続く話だからそれだけ接点があるのだろう。かつ時代も廻ってきたんのだろう。

こんなモノを今後どうやって作るか。今後も残すか、いや残せるか。
商いにも研究にも創作にも文化にも応用できるのではないかと。物語や理念など言われるがそれは作るのか生まれるのか。そういった視点に目を向けるために今一度スターウォーズなのかもしれない。僕そう思ったのだ。
敢えて言うと、今も続いているキン肉マンは日本のスターウォーズなのかもしれないと思ったの事を最後に加えておきたい。

一日で全話コンプしたいけど飲みながら観たくなると思うと。。。
僕にフォースを!!

火曜日, 11月 13, 2018

筋力と有酸素と体重

テクテク歩くことが多いついこの頃。ラップトップや本などがガッチリ入ったリュックを背負って日常歩いてますが、家に帰ってまたは出かける前にテクテク歩きに行くことも。最近は後者の場合は軽い鉄アレーを持って歩いています。

この鉄アレーwalkingの際に思った事「歩くって結構腹筋を使ってるなー」って意識が出来て、やっぱり走るって全身使うことになるのかなどつらつら考えていました。そこで、今日はしっかり走ってみようと。
歩くときに負荷をかけてくれた鉄アレーにありがとうを告げ走り始めて数分。なんじゃこら、全く負荷を感じない。
さらに数分、息は切れ汗は流れ、走ってる感は満載なんだが全く負荷を感じない。
さらに数分、あの負荷は鉄アレーあっての事で歩く・走るの行為では発生しなと認識。
Uターンして帰宅。鉄アレーを手に取り走らずに歩く。
おーーーなるほど!!負荷あるやん!!

そして歩きながら色々考えた。

体重が重い人のダイエットはジムに通って筋トレに励んだりハーハー息を切らせながらランニングなどせずに、せっせと歩くだけで十分よいのではないかと。
体重の重い人が仮にやたせた人と同じ筋力だったとしたら、歩くだけでやせてる人より何十キロという負荷を乗せて歩いているのと同じだろう。それは息も切れるししんどいに決まってる。
50キロの人に50キロ持って歩くけ!と言ったらもう少し軽いのからでええんちゃうとなるが、その50キロがそもそも肉体に備わっていたら(肉襦袢みたいなものだ)どうもこうも無い。

体重が減り筋力に変わっていくある時点にきっと肉体的に最適解があるんだろう。それ以降は、筋力に見合った負荷が必要になるから。
それでいくと、筋力のない痩せた人がジムに通うのが一番理にかなっているように思う。最適解としては、多少歩くといった程度の日常の活動に過度の苦痛が無い人は軽くジム通いで良いのかもしれない。
走らんでも歩くだけで十分に自分の身体を知れそうだ。さっきの体重の重い人ではないが下手に走って膝を痛めたなんて愚の骨頂なのかもしれない。

いや、おっさん!!鉄アレー持って走れよ。。。あ、ホンマですねー!!

水曜日, 11月 07, 2018

2018年31冊目(324)

the four GAFA 四騎士が創り変えた世界 単行本
スコット・ギャロウェイ (著) 渡会圭子(訳)
東洋経済新報社 (2018/7/27)

僕はこの本を読んで全くぞっとしなかった。でも人によってはそうなのかも知れない。そして、その中に情報流出とかプライバシーが言ってる人がどれぐらいの割合なのか知ってみたい。

便利とはなんなのか? タダより安いものは無いし、無料という言葉に弱いのは人間の性である。その場合「質」に文句をつける人はいない。だってタダだから。その態度は実際に正しいのだろうか?
この本で4騎士とされる企業のもをこの世の中で一回も使ったことない人はどれだけいるのだろう。実際にいると思う。ただその人たちは一度どれかに触れた時点で0度以下で静かに冷やされた水が刺激で一気に氷るようにように、この四騎士に取り込まれてしまう気がする(リーチすると言えばカッコいい)。
それぐらい当たり前に日常に溶け込み(ユビキタスといえばカッコいい)、便利という名で色んなモノと紐づけされてる(ネットワーク化といえばカッコいい)現状を認識しないといけない。防犯カメラによる監視社会どころの話ではない事を。でも誰も多くを語らない。なぜなら、便利だし無いと困るからだろう(社会のインフラとなるとカッコいい)。
僕はテクノロジーに取り込まれていることを受け入れている。だからぞっとしなかった。けど改めてその使い勝手に(ユーザーインターフェースといえばカッコいい)躍らされて、便利さを安心感のように感じ使っている(ロイヤリティと言うとカッコいい)使いこなしている。

そして、現実に使いこなしている姿はクールでカッコいいのだから仕方がない。

ドラゴン桜で桜木先生は「搾取されたくなかったらルールを作る側になれ」といった。
これは搾取とは思わない。でも搾取みたいなものだとは思う。
で、ルールを作る側になるには今のルールを知る必要がある。だから、言えるのはぞっとせずに読んだ方が良い。もう遅いから。使いこなしてるのでなくシステムに取り込まれ飼いならされストロー効果のように自分の利便性以上の果実を吸われているかもしれない事実を知るべきだ。本の中でもあるが親や恋人や友人よりも自分の欲望や好奇心に満ちた言葉を受け入れて答えているのは四騎士で、彼らは僕をよく知っている知りすぎているんだ。ああ恥ずかしい。

実際にルールを作った人たちは「出来ないであろうことを、創造し表現し口にして無理と思わず実行した」から出来たのだ。絶望と希望は紙一重なのかもしれない。僕は希望と楽しさに乗っかりたい。そして可能な限りこの便利さを使いこなすしのが、せめてもの抵抗だと思う。
あ、忘れてた。4騎士は酒飲めない!その点で勝ったちゅーねん。。。

木曜日, 11月 01, 2018

2018年30冊目(323)

空間へ (河出文庫) 文庫
磯崎新  (著)
河出書房新社 (2017/10/5)

最近てくてく歩くのだがふと自分の生まれ育った地区を歩いてみようとぐるりと回った。当時あんなにも大きく感じた街は今の僕の視線と歩幅では容易に歩ける町だった。地震と台風のせいでビニールシートが掛った屋根、補修中の家、人の気配の無いボロボロの長屋などが思ってる以上に多くて驚いた。近所の家々も売りに出たり解体して更地への作業中だったりこの災害の大きさを感じた。そして、思った。日本ではヨーロッパのようなリノベーションは向いていない。木造と石造の根本的な違いを痛感した。耐久性・解体性・可燃性の差。それは先日ベルギーの石畳と城壁の残るの町並みを実際に歩いたから余計にである。そしてこの本の「世界のまち」を歩く前に読んだからこそ注意深く街を観察できたのだと思った。

建築やデザインに関してずぶの素人の感想なので何とも言えないけど、この本は終盤の「年代記ノート」からが筆者の胸の内を感じる醍醐味であると思う。
ただ、1960年から始まる記述の中で感じたのは、焼け野原となった(あえて上の言葉から言えば焼けたから生まれた)日本の中に蠢くエネルギー的なものと街・都市の持つ空気感があるからこそ建築論の面白さや深さが生まれたのかなと。

僕には記されている論や考察など今の時代の話として十分に語られ議論されても良いような内容に感じた。ただ広告の看板・電気エネルギー・モータリゼーションという部分が時代なのかもしれない。看板はサイバーに、自然エネルギーや省エネといったクリーンという議論(快適な生活の基礎を支える必要な不可欠な電力需要の話が全く議論にならず語っていることが僕には馬鹿らしくて仕方ないが。。。)、カーシェアリングや自動運転に車を持たない世代へと、建築やデザインの対象となる存在は変化しているのかなって。

今も当時も同じような「混沌とした時代の空気感」があるように思うし、建築やデザインへの期待やエネルギーを僕には感じる。けど、成長してゆく都市と成長しきった都市というベースの違いが大きな差かもしれない。今こそタイトルある「空間へ」なのかもしれない。

今の日本は木造だったから作れたんだと。古い街並みを残すことにヨーロッパの事例を引き合いに出すのは実は間違っているのだと。で、今の日本のビル群は木造的に捉えるべきなのか石造的に捉えるべきなのか。おもしろい観察対象ができました。
この新たな認識を持てた事は僕にとって新たな建築でありデザインとなった!!!なーーんて、言うてみた。。。

木曜日, 10月 25, 2018

結果に至るまでに

今年のワールドカップの日本対ベルギー戦の2失点目。あの失点に至るまでに小さいミスが重なっていた。まず中盤で長谷部選手のパスが香川選手に当たって相手ボールに、その後のこぼれ球を乾選手がクリアするも外に出しきれずフィールド内にボールが戻り相手ボールに。そして失点。小さいパスミスとクリアミスが続いてしまった。

ドーハの悲劇の最後の失点。NHKの番組でラモスさんが今でも悔いていると言っていたパスミス。ボールキープするか近い距離の安全なパスを選択できたけど、再度を走る選手に出したパスが相手に奪われルーズボール。そこからあの失点へ。

2つとも不用意な中盤でのミスから。だからパスミスをしてはいけないと言うのではない。
結果に至るまでに小さい積み重ねが成功にも失敗にも関わってくるなと。

色々と思い悩む現在。小さい決断を重ねていかないといけない状況でふとこの2つの事を思い出して、今の自分に投影したのでした。リスクをとる所、安全に進む所、しっかり事後処理やケアをする所。よいアウトカムにするために。AIのように頼むで僕の脳みそ!

土曜日, 10月 20, 2018

枠の内側と外側

先日たまたま単行本のゴルゴ13を手に取って読んだ。

僕はアメトーークのゴルゴ13芸人で興味を持ち、アニメとして放映されたゴルゴ13をほぼ全部見た。あまたある単行本は機械があれば手に取るという、ここ数年にファンになったニワカである。

その単行本のある一話を読んでいる途中で「あ、これはアニメで観たやつや!」と気付いた。そしてアニメで観た本編はその回の終盤の話であった。
あの話が始まるまでにこんなにバックグラウンドがあって、しかも濃い国際情勢の話が広がっていたなんて。

原作のドラマ化やアニメ化。その原作を忠実に再現しているものはどれだけあるのだろう?もちろん構成上難しいのもあるであろう。だがそれは言い換えれば、文字を脳内で変換する作業への敗北なのかもしれない。

最近は興味の関係か海外の本が翻訳されたのを読む。ただ英語なら原著を読めないわけではない。一度その原著と訳書の2冊を読み比べることをした本がある。「本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間」である。先に日本語を読んで英語版を読み始めた。この本は本の構成上比較しやすいものだったので、かなり原著の通りで英語の表現を学ぶことが出来た。でも、たぶん2/3ぐら読んだ段階で興味を持った友人にあげてしまった。

原著・原作を手に取り読む。この意識は忘れてはいけないなと思ったのでした。それに呼応するように、ある質問を受けて過去の文献にあたる機会を得たのは偶然だったのか必然だったのか。過去に戻って訊いてみよう!趣旨が変わってきた。。。

金曜日, 10月 12, 2018

阪神タイガースと財務省

金本監督の退任が決まりました。僕としてはあと一年は勝負させてほしかったなと。
采配云々はあると思う。でも生え抜きの若手の数は出てきてるし、正直今年はシーズン前に予定していたであろう打線の軸が全く機能しなかったのは多いな誤算であっただろうし。

これはトップの問題なのかシステムの問題なのか。僕はなんとなく後者の問題がする。阪神戸とい球団の持つ体質というか癖というか。

財務省の文書改ざん問題。あれは改ざんがなぜ起きたかの方が問題で、それが二度起きないようなシステムを構築することが一番大切なはずなのに、責任問題が橋の中心で終わってしまった感が僕にはしてならない。

トップの責任とトップを変えるというのは必ずしも一致しないと思う。
システムの議論をもっとすべきだと切に感じる。

対処でなく根治

今回の辞任を受けて2つを同じような出来事に感じたのでした。
金本さんお疲れ様でした!!

水曜日, 10月 10, 2018

2018年29冊目(322) + 本と映画

自分の中に孤独を抱け (青春文庫)
岡本 太郎  (著)
青春出版社 (2017/4/8)

予定では並行して読んでいる磯崎新さんの本と一緒に感想を書こうと思ってました(磯崎さんのはまだ読み切れていない)。建築家と芸術家。似て非ぬけどある種の交換可能に感じる2つの職。その二を並行して読むことで何か面白いものを感じれるのではと。が変更することにしました。予めだったから。一緒に書き記したい本と映画に今関係する気がしたから。

僕はあまり映画を見る機会を持ててなくてよく映画の話になるとついて行けないことが多い。この一か月ほど長時間の飛行機移動が多く、その中で普段は観ない映画をたまにはと観たのがきっかけで12時間のフライトで4本観たりで計15本も観てしまっている。快挙だ。新作から一世代前のまで。名前は知ってるけど観てなかったのを割とみた。
本を読むのは好きだけど、自分の中で考え消費して落とし込むことが殆どで、人と同じ本について語り合う事などめったにない。人がどんな本を読んでるかなんてよっぽどでないと分からないのが基本で、有名なもしくは売れた小説など以外は「読んだ?」などと聞くことはめったにない。
それと違って映画はなぜか話題になる。時に観てない方が珍しいことも。映画は見た感想を割と気楽に話し時に議論したりで深く共有することが出来る事が多いように思う。評論などでも映画の引用は本よりもされやすいように感じる。AIや広告の最適化の例として「マイノリティーレポート」が引用されているのをよく目にしていたけど、正直昨日初めて観た。これが2002年に2054年の未来として描かれていることに驚いた。なぜなら一部はすでに現実社会に存在している。当時の演者は演じながらどのような感じだったのか気になる。
今回15本も観て映画の持つメッセージ性や問題提起の力をとても感じた。そしてそれが友人や人と話す共通の材料になりうる。本を読んで発する言葉も映画を見て発する言葉も内から出るものだけど、それが人にリーチして返りがあるというの上での映画の価値はおもしろい。

そして、この岡本太郎さんの著書。遮二無二生きろ。現状維持せず進め。悩みもがけ。世間の常識や権威を疑え。自分と何か考え詰めてろ。どう生きたいか思い描けそして実現ししてしまえ。怒号のような彼の声が聞こえてきそうです。実際に彼はその筋を通そうと懸命に生きた。芸術家というより活動家だったのかもしれない。166ページから「受け身でなく、積極的な気構えで鑑賞する」とういテーマが始まる。そして次の項では「すなわち鑑賞する、味わうというのは、実は価値を創造することなんだよ」と。映画や本の読み方で己の価値・解釈を作ってみろと。映画によって僕が感じた人々との語らいはこの作業があってこそで、その会話を通じまたさらに自分と向き合う。それは岡本太郎が求める闘争の一つであってよいはず。

日本にいる日本人もきっとそのように生きているんだと思う。でも外から自国をみたらいい。外に自国を語ればいい。出来るなら。世界と話せるのがすごいんじゃなくて、考える上で世界も参考にできることが一歩であると思いたい。それらをつなぐからメディアなのだろう。メディアを使い倒してやりたいなと。その1つ映画を見る時間を増やしたいなと思ったついこの頃でした。はい、ピンク映画ももちろんです。

月曜日, 10月 08, 2018

2018年28冊目(321)

話芸の達人 ―西条凡児・浜村淳・上岡龍太郎― 単行本
戸田学 (著)
青土社 (2018/8/23)

よく人間の才能や能力を議論する際に出る遺伝か環境か。
大阪人のしゃべりが達者なのは小さい時からお笑いの文化があるから。
などなど、環境の要因の話はよく語られますが人に影響を受けるというのも大事な要素で。

凡児先生の話は初期のパペポで触れられているのを聞いたけど、実際にその人となりを知ったのは今回が初めて。そして、関西の朝の声の代表である浜村さんの事もちゃんと知ったの初めて。そしてそこには影響を与える側と受ける側の関係が至る所にあった。
あと時代背景として、落語に浪曲などがもっと日常にあり漫才も今のような漫才コントのようなのもではなくきっと「じゃべり」が主体であったのも、一人話芸の達人を生む環境だったのかもしれない。あと視聴者の顔が見えないラジオという場がその鍛練の場として今以上に身近だったのもあるだろう。169ページに「凡児=落語、浜村=浪花節、上岡=講談といった三通りの芸脈が流れているのが面白い」と。今なら身近なのは落語だけなのは時代なのかもしれない。面白かったのは田原総一朗の司会ぶりを話芸として評している所。あの方の司会は確かに政治芸なのかもと腑に落ちたのでした。

さて、今後このような話芸の達人が生まれるのか?僕の答えはイエスな気がする。
原点に触れる作業をネットが容易にしてしまうだろう。映画・Blade Runner 2049のなかで生身の人間とバーチャルとどっちが好きなの?的な下りがあった。VRを駆使しすれば今は亡き談志師匠の落語をあたかも寄席に居るように聞ける日が来るかもしれない。現に人間国宝の桂米朝師匠のアンドロイド(米朝アンドロイド)が高座で落語をするプロジェクトは存在するわけで。感化された自分がそれを話す友達がバーチャルだったらそれはきっと虚構なのかもしれないけど。

話芸。なんだかんだで喋ってなんぼなスキルやけど、単純明快な作業だからこそその上手さは人を魅了うするんだろうなと。あえいうえおあお。。。

月曜日, 9月 17, 2018

2018年27冊目(320)

「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告 (文春新書)
エマニュエル・トッド  (著), 堀 茂樹 (翻訳)
文藝春秋 (2015/5/20)

地政学
当たり前なのだけどユーロという枠の中にいてもなお他国とのパワーバランスを意識しないとけない。
日本の各都道府県も本来ならフランスがドイツ・スペイン・ギリシャを語るように近隣の県について思いを巡らしてもいいはず。でも県民性のようなソフトな話題に。
こういった本から世界の歴史や成り立ちについて学ぶのはとてもおもしろいと思った。世界史の個々の聞いたことのある事象(ナポレオンやビスマルク)がすっと理解できた。第二次世界大戦へ向かう流れも。
なのなかでロシアって国の存在。改めて考えさせられます。彼らは強国なのか実はしょぼいのか。太平洋を挟んだアメリカとロシア。大西洋を挟んだアメリカとヨーロッパ。地続きのヨーロッパとロシア。その中の日本。
世界だけを見ていれば良いとは言わないけど、世界は虎視眈々と一刻一秒駆け引きしながら動いているんだから日本人も巻き込まれてない我関せずはどないなん?って。
2015年のでた直後に買ってたんやけど、今読んでも十分にスリリングで現・フランス大統領の名前が出てくるところなんか示唆的でした。
さぁ、いざ世界へ!関空たのむで!

火曜日, 9月 11, 2018

2018年26冊目(319)

「流域地図」の作り方: 川から地球を考える (ちくまプリマー新書)
岸 由二 (著)
筑摩書房 (2013/11/5)

この本は確か去年の北関東で起きた大規模な水害の時にニッポン放送のボイスの中で宮崎哲弥さんが紹介してアマゾンのカートに入れたと記憶してます。
そして今回の西日本の災害を受け今読まないと思い購入しました。

ここで提唱されてる流域という概念は自分はどの川の氾濫に備えればよいのかを知る上でとても役に立ちます。ハザードマップだけでは感じれない分布から避難の際の何故も分かるのではないでしょうか。

これに加えて資金のない地域や都市計画がうまく出来てない場所、貧富の差によっても(フィリピンなどであったハリケーンの被害など)大災害ではクリティカルの差が出てくるんだと思います。自分の身は自分で守る。それを踏まえるうえでこの概念を知っておいて損はないと思います。それと同時に自然環境への関心も生まれると思いますし。

探検ぼくの街的に地図でも作るか!!でもあの実家の近くの川沿いを。。。まずはgoogleからだな。。。

視覚か聴覚か

sonyがウォークマンを発売して、ディスクマンにMD playerそしてiPodと音楽をイヤホン(最近はヘッドフォンまで見かける)で聞くようになった。その時に自分の世界に没入しての歩行者含め自転車などでの事故が増え「そんなに音楽聴きたいなら家で聞け!」ナンゾいわれていた時代。昨今は歩きスマホなどディバスを片手に読み物やSNSで楽しんでいる人たち。

聴覚を支配された人と視覚を支配された人はどっちが危険にさらされているのか?

今日混み合う車中。一人でも多く乗れるように詰めてくださいとのアナウンスのなか熱心にスマホを覗き文面をタイプする人たちにを見て思ったことである。

彼らの聴覚は生きているはずだか集中というのは雑音をキャンセルするのだと。
人は主に視覚から情報を収集するが果たして今の現状は良いのだろうか?
目線の先にあるネットの世界を通じて取り合うライブのコミュニケーションも大事かもしれない、でももっと今いる自分の周りにあるライブの情報を処理する方が現在をより善く生きれる気がする。

グーグル・フェイスブック・アマゾンなどに個人情報が云々カンヌン言われる時代だが、個人のメールやSNSでのやり取りを公共の場、特に混み合った車中などでは赤の他人に容易に覗き見されることの方がもっとリスクだと僕なんかは思う。
企業が必死に組み立てるセキュリティーに文句言いながら、自分といえばなんとも無防備ではないのか。

読書も言えば同じなのだか、この述べた2つとの違いは何なのだろう。
昔などおっさんが電車で読むスポーツ新聞の風俗欄が堂々と露出していてた時代は懐かしいのかもしれない。こんなことをつらつら考えれたのは使ってる人がいるとはいえスマホのおかげとなると皮肉と矛盾をダンロードしたみたいじゃのー。。。

火曜日, 9月 04, 2018

2018年25冊目(318)

習慣の力 The Power of Habit (講談社+α文庫)
チャールズ・デュヒッグ  (著), 渡会 圭子 (翻訳)
講談社 (2016/2/19)

この本は独立できた際にオフィスの本棚の見えるところに置いておきたいと思った。そんな時々、意識したり思い返したりすべき内容でした。

習慣という個人に帰属しそうで、しかも「何物でもないようなナニモノ」。
このほぼ無意識にいかに回されているか。いや、この無意識「が」or「で」に回されているか。
この習慣がルーティーンになるとイチロー選手の影響もあるかもしれないがプロフェッショナルに聞こえる。そんなかっこいいルーティーンを意識する以前に染み付いた自分の習慣を見つめ直すことからでしかその山に登れない。

企業や組織を含めこの習慣が運命を左右してきたのかを認識できます。
そして大事なことはその習慣は変えることが可能であること。
脳内の事とかストレスとか生き方とか危機管理とか流行とか。
現象には理由がある。その理由を考えられるか。
時にそれは苦痛でしかないし、厳しい現実を受け入れなければならない。
でも、習慣って身から出た錆であり染み付いた最高のスキルだったりする。

成功を一攫千金とするなら習慣は必要ないかもしれない(そうとも言えないのが面白いけど)、でも成功の道筋には「お前の常識オレの非常識」と「価値や意思といったボンヤリの具体化」があってそれを経ないと(経た人が)成功は感じれないのではと。
だから日常と自己に向き合わないといけない。その先に他人・集団・組織と波状も。

やめろとか、続けろとか。あきらめた、やり遂げたとか。
この安直な声かけや評価でない本質的な変化が定着した時に凄さとその逆の恐ろしさをこの本は教えてくれました。

いっぱい書いても書ききれないぐらい響くことがあって。習慣を受け入れてもらえたり、備わってた習慣が無意識に機能したりとか。今の自分を振り帰りつつ未来に向けて想いを馳せたり。。。とにかく、僕には響き過ぎました。
何かオチを付けないといけない、短くまとめないといけないと思う。
この習慣。それは。。。変えていこうよ。。。なのでビールもう一杯!おい習慣というより反射!!!!