土曜日, 2月 29, 2020

ドラゴンボール超・全131話を見た

正直言ってむっちゃ面白かった!

ギャグっぽい回と闘いの回のバランスが取れていて、各個人のキャラクター設定も強固になって(特にベジータのキャラ設定が面白い)、過去の伏線も回収しつつ新しいキャラクターと設定。ちょっとまた見たいなと思ってしまいます。

キン肉マンでもそうですが、神様と言う存在と悪と言う存在の設定にどうしても行きつくのかなと。2つに共通点があったりなかったり。そんな比較をしながら見てました。

そして一番この漫画に関して感嘆したこと。僕が小学生で初回から見始めた時から「ブルマ」という女性を重要なキャラに使っていた事。あの当時から理系女子・ブルマという存在がこの超ではかなり大事な設定となり、昨今の女性の社会進出などの話を考える上でなんとも強いメッセージ性を放っていると僕は感じたのです。これを見た女の子がブルマのような天才女性エンジニア/研究者をキャリアパスとして真剣に夢見れるきっけになったら素晴らしいと僕は思う。

読者視聴者と共に作品は歳をとると言います。不朽の名作はどの世代にも何かを感じるきっかけを与えるものであると思うし、今回ドラゴンボール超をみて作品が続いている事をとても嬉しく思ったのでした。

いやー、おらワクワクしたぞー!!

水曜日, 2月 12, 2020

2020年 1冊目 (344)

料理の四面体 (中公文庫) (日本語)
玉村 豊男  (著)
中央公論新社 (2010/2/25)

「相手の気持ちになって」とか「勝者の視点と敗者の視点」など、物の見方を変えることは理解を深める上で極めて重要なアプローチだと僕は思っていて、実際心掛けている方だと思っていた。甘かった!
この本は料理という枠の中で素材や調理法・調理名を基本事項を確認しながらデジタルをアナログに変換するように繋いでいきます。
これが何とも痛快で、そんな事は考えもしなかったがその通りやなを膝を打つ事の多い事。

今自身が対処に困っている問題を解決するきっかけを与えてくれるほどのインパクトで、自分の貧相なものの見方にガッカリした反面、今後この捕まえ方と正確な位置分析を心がけようと誓ったのでした。

ステーキはサラダだ!!この発想を受け入れらるようにになるんだわこれが!!固定概念だったり「それはそうモノだ」と思ったり、日本含め各国の言語間にある表現の溝だったり深く考えない思考停止になりがちな事って料理にはこんなにあったんやと。しかも文庫化される前のオリジナルが出版されたのは1980年。餃子の王将のcmでは無いですが食は万里を超えるとはよー言うたもんですが、40年たっても色褪せない万里も時代も越えて残る。伝統とは何か違う本質をかんじませんか?

料理をしたくなるし食べたくなります。ベタなオチで恥ずかしいですがキレイに料理されました。ご馳走様でしたー。

月曜日, 1月 27, 2020

今年の第一歩


2020年最初の投稿がもう1月の終わりになってしまった。
でも、それぐらい年始早々から良い悪い含め色んな事象が起きてあっという間にここまで来てしまったって感じである。

今年はチャレンジングな一年になると去年から感じていたし、実際そうなりそうな気をすでに十分感じている。やるしかない!この一点である。12月に去年から来た新しい環境に本格的に馴染んで色んな事を生み出し始めているとニッコリ思えたら成功だと思う。

それに向けての小さな芽が出てきている。だからそう、やるしかないのだ!!

家から海が近いのでアキレス腱を損傷してから遠ざかっていたサーフィンを再開しようと思う。ワークライフバランスかライフワークバランスか分からんけど、チャレンジしてみようと思う。

文章自体はそれなりに毎日量を読んでいるんだか、本を読む時間が確実に減少している。理由は他の媒体に気をとられているからなのは知っている。これもライフライフバランスで修正また変化をしていかないといけないねー。

そう、今年はやるしかない!!!!!
がんばれオレ!!!!!

火曜日, 12月 31, 2019

令和元年の終わりにー

今年の最初に「今年は結果(アウトプット)を出していきたい」と記していました。何だかんだで思ってる以上にヒットを打てた方かなと思います、しかも結果を見せたい人にタイミングよく示せる機会でちゃんと打てました。もちろんしっかり準備をしましたが。自分の出来る事からしっかりアピールして結果を残して信頼をもらいチームに馴染む。これを新天地での成功のきっかけと意識してましたが肌感覚で間違いないと感じました。このスタイルを試せたのはこれから先とても貴重な財産になると思います。

6月から新天地に移って、慣れない環境に置かれた割にはかなりの適応力を出せた方だと思います。痛感したのは環境が変われば生活は変わると言う事です。いままで夜型人間だったのが朝方人間になった。遅い時は深夜まで実験していたけど、今では早かったら7時には寝てたりします。それに付随して、昼まで寝ているのが普通だった日々が4時とかに起きて情報収集を始めたり。
あと本を読むペースがとても遅くなった。電子書籍を使って読む状況も増えましたが、読書もやはり習慣ですね。これは早急に元に戻したいです。

とても有意義な1年になったと思います。一つある作文を書ききれなかったのが汚点ですが、完全なんて無理なんで年明けに気合入れます(という言い訳です)。  いつも通り日付変わるまえにさっさと寝ます。これが日常だから。
 See you 2019!!  

土曜日, 12月 28, 2019

M-1 2019感想

こんなに腹を抱えて笑ったのは久し振りちゃうと思えるぐらい今年のMー1はとてつもなかった!!

8組目のインディアンズさんの前ぐらいでこの激しい大会に疲れてる自分を感じた。笑いのオーバーワークというか。こんなに多種多様な笑いの風を受けて疲弊しない方がおかしいとも言えるけど、どれだけ肩肘はって見とるねんと突っ込まれたら僕の敗けである。

そんな笑い疲れた大会の僕の勝手な感想を残しておこうと思う。自分が殴り書きしたメモの文字を何て書いてるんやと悶絶しながら。

敗者復活
僕は正直なところ自分の面白さ的には和牛が一番では無かったです。四千頭身さんやクラゲさんのネタが僕にはツボでした。ただ上手さ洗練さでは和牛さんがダントツでした。でもグッと来なかった。女の子的に言うなら色気が無かった、僕には。和牛さんさんがどんどん敬愛する笑い飯さんに見えてきて僕は辛いんですが、本当にやりきってほしいと思っていたんですがどうやら今回の大会を最後に卒業されるようです。これに関してはまた後で。

本戦
こんなに順番の妙が炸裂した会は初めてのように思います。ニューヨークさんの後のかまいたちさんのネタで完全にブースとがかかった気がします。言葉の「てにをは」で何を言ってるか分からないという下り。会前にKBS京都のチュートリアルさんのラジオにゲストとして出演のかまいたちさんがコンビで唯一の言い合いの喧嘩が「てにをは」を巡ってだったってのを聞いていたので、あのやりとりがとても笑えました。どんな発想でネタを思い付くかには伏線があるんやなって改めて思いました。
和牛さんのあとのすゑすろがりずさん。僕は腹か抱えて笑ってしまいました。そして年末年始この古典表現使う人増えそうやなと、そして営業の仕事が激増やなって。それ以上にこのコンビが残した功績は「古典芸能」「古典の言葉遣い」に興味を持たせるきっかけを撒いた事だと思います。文部科学相は彼らを称えないと!小・中学生が遊びの中であの表現を使いながら古語を学んでいく。これってとても大切なきっかけだと思います。王様は関白に相当するのか、たそは誰、召すは飲む、やんごとなきって何!?みたいな。世に知ってもらうきっかけとしてこれはとても大事な方法論を示したと思います。当然ステマとは区別しないといけませんが。
からし蓮根さんの最後の盛り上がりはえげつなかったし、見取り図さんは言えば大喜利の出しあいがすべて面白いという。ハイレベルすぎる!そこに投下されたミルクボーイさん。
もう言葉は不要でしょう。ただただ面白かった。僕はメッセンジャーさんが関西でやってるラジオを聞いていたのでその期待度と評判を聞いていましたが、やはり百聞は一見にしかず。作り出されたシステム。僕にはブラックマヨネーズさんが勝った大会がすぐに浮かびました。史上最高得点を叩き出したのは圧巻です。ごちそうさまでした!
あの衝撃の後で淡々とペースを守ってネタをするオズワルドさんにまた感動。インディアンスさんは実はネタが飛んでたらしいのに関わらず纏めてしまう実力。そしてペコパさんの現代のコンプライアンスにドロップキックではなく遵守するというツッコミ!!あの言葉の使い方も流行りそうです。多種多様のスタイルに最高の笑いが加わった一本の最高の寄せを見た感じでした。人を笑わせるって素敵です。

決勝ラウンド
僕はかまいたちさんに勝ってほしかった。それに値するネタのクオリティやったので、キングオブコントととの二冠をしてほしかった。Mー1の2連覇とかそんな強い芸人さんを僕は見たかったです。でも今年でミルクボーイさんは勝っておかないといけないと思ったし。運命とは何とも複雑骨折です。

その他
舞台裏のレポーターは麒麟の川島さん。審査員のひとりはナイツ・塙さん。Mー1打ち上げの仕切りは千鳥さん。そう、Mー1でチャンピオンにならずともしっかり売れて立ち位置を築いている人って多いんです。Mー1で優勝したら売れるのではなく、売れる確率が圧倒的に高くなるというこの確率論を頭に置いておかないと大事にな気がします。これは現実社会で常に関わってきます。良い大学・良い企業・ブランドなど。みんなが血眼になって目指したいゴールとなるような場所。働きありの法則ではないけど、どんな場所でも一定数のポンコツと天才が共存します。その比率大小ややクオリティの平均値を求めてそのような場所を目指すのは決して間違いではない、だけどそれが全てではない。和牛さんは十二分にこの最高の舞台を活用できてこれ以上は自分を傷つけると判断しての撤退なのかなって。正直残念だけど、この判断力は見習わないといけないです。そう思ってみると、上沼さんのあのからし蓮根さんの採点時のコメントは的を得つつ「わかってますねん」という和牛さんの心の声が聞こえるように何度も見直すなかで感じました。みなさんプロフェッショナルです。

最後に、日清食品の番組中のCMと優勝商品のあの発想。この会社、何か絶対おもろいことをたくらんでる気がしました。センスが良すぎる!!!このような会社を僕は応援したいです!!

Mー1最高です!もう5回は見ました。たぶん今日も見そうです。笑う門には福来る!!!

水曜日, 12月 25, 2019

クリスマスに我思ふ

習ったり学んだ事が身に付き当たり前になる(習慣となる)。この行程をリアルタイムで感じること。この意識を磨くことが出来ればかなり面白い景色を見ることが出来るんじゃないかなって最近思ってます。

6月から新天地に移ってから何もかもが新しく前提となる知識やルールを詰め込む日々。ある時から注意深く意識を払わなくてもそれら新しい事々が頭の中にスッと出てくるようになりました。どの引き出しに何が入っているか整理できたように。
それがどのあたりから起きたのかなってふと考えていました。それはおそらく実際に手を動かし始めた9月後半ぐらいからかなって。それまではまだお客さんで自分の過去のアセットを使いながら自分という人間を理解してもらう段階だった気がします。当事者性が生まれてからばらばら立った点が繋がり始めた気がします。

おそらくこの学習から習慣へはどんな人も日常で起きる出来事であるけど、これが仕事といった必然性でなく語学の習得となると極端にハードルが上がる気がします。自分の意思が強くない限り。もちろん習慣化する必要は必ずしも必要ないけど、習慣になった方が成長曲線は圧倒的な早に変わると思います。

そんな話をふと先日友人と話していた時の事、僕の話にとても共感してくれた友人が「まさに同じことを言ってる本があって、the power of habitって言うの」と。直訳すると”習慣の力”。ふと僕の脳みそが反応した。なんか聞いたことあるぞ。そのときの会話ではすっと流してしまったけど頭に引っ掛かった棘。
そう、なんとこのthe power of habitの日本語訳バージョンの習慣の力をちゃんと僕は読んでいたのです(2018/09/04の自身の本の感想参照)。

贔屓目に考えるならこの思考は自分の中で習慣になっていたから、無意識の思考になったのかなって。との無意識の意識化のきっかを与えてくれた友人に感謝しつつ、この思いもしなかった嬉しい点が線になった出来事を誇りに思いたいなって。

でもこの習慣が慣習になると馴れ合いを生み成長の機会を削ぐことになると思う。そういう意味で今年起きたこの生活の変化のおかげで散らばった点を繋げるとても良いきっかけになってる気がしてます。守られると守るは似ても似つかぬLearning(学習)とhabit(習慣)の最終型なのかもなんて。

ビールを飲む習慣は自分にとって大事な慣習なのだけど飲みすぎる癖を治すことを学習せねばいけません。。。灯台もと暗しか!!!!

土曜日, 12月 21, 2019

2019年、今年もまたこの大会が

何年ぶりにリアルタイムで見た去年のMー1グランプリ。
今年はどうやって見ようか考え中だけど、予選の結果をみながら思っているのは。

「今年は荒れるのではないか!?」

僕の中でのキーワードは「お笑い好きが集う笑いを解釈できる予選のお客さん」と「お笑い好きの抽選を経て見に来た笑いの球を受けとるお客さん」さんが生み出す微妙なリアクションの差だと思ってます。

Mー1用のネタの作り方というのはあるけど、新たにMー1に来るお客さんが爆笑するネタの作り方もあるのではと僕は今年感じました。
僕の勝手な主観で間違ってると思うけど、そこが和牛さんが決勝に残れなかった理由ではと。

すべての結果は今夜出ます。とりあえず、早く寝てリアルタイムは起きていようと思います。がんばれ、オレ!!

金曜日, 12月 13, 2019

思いの丈をどうぞーーーー

YouTuberと言われる方々の動画を見る機会が最近とても増えています。
始まりは元プロ野球の選手やお笑い芸人の方々の作品を見る事から始まり、近しい人が始めたり面白いタイトルに誘われて覗いてみたり。

最初は取っ付きにくかったジャンルがどんどん身近なものになってきた感じです。1つの動画がそこまで長くないと言うのもミソで、僕はよく1.5倍速などで観るのでとても回転が速く色んな情報が入ってくる感じがします。

そう、この感覚は雑誌のコラムを流し読みしてるような感じに似てると思ったのです。好きなコラムがある雑誌はそれを目当て手で買ったり立ち読みしたり。週刊・月刊の漫画雑誌にも似てるかもしれません。

今まで得ていた情報の流れが同じ視覚でも文字から映像へ移っているのは間違いない気がします。昔は動画は時間制約のある媒体で、自分の流れで切の良いところで止めれれる書籍には学習と言う点では敵わないと思っていました。ところが短い時間に最小限の情報を扱う動画を芋ずる式に見れるようになると、これは目だけでなく聴覚も使う動画と言うツールはとてつもないパワーを持つことになるんですね。

このようなコンテンツの在り方は当たの片隅に置いとく必要がありますね、witterの140文字であることも踏まえて。一方で最近話題になっている読解力の低下のように、ある程度の長さのキッチリした文章や映像作品(映画)を最後まで付き合い理解できる能力は必ずいるので、この先どのような世界になっていくのか僕は楽しみだったりします。でも結局は面白いコンテンツなら長くても人は必ずついてくるんでしょうけど。。。

さてこの問いを自分の文章に当てはめてみようではないか!!ブーメランはこのように放たれるのですね。。。

日曜日, 12月 08, 2019

無限大

夢の中ではよく非日常を経験します。そして僕はよく夢を見る方なのである意味でのもう1つの人生を楽しんでいます。
が、とても考えさせられる夢を見ました。それは夢の定義を再確認すると共に生きている今(現実)を実感したからです。

その日は大荒れな天気。降りしきる雨が風にあおられ部屋の窓に打ちつけるような天候を追いながら眠りに就きました。

友人とキャンピングカーで山のなかにいる僕。急な傾斜の川のそばで雨の降る悪天候の中でキャンプをしているようです。どうする!?と話ながら目の前にある川は泥を運ぶような濁流で明らかに身の危険を感じます。そこでキャンピングカーが氾濫した川に流され、みるみる流されていきます。あー、終わった。転がる車が滝にさしかかり思いっきり飛んでいきます。それは飛行機から下を見下ろすような絶景です。マウンテンバイキング中に泥に車輪をとられ転げ落ちた絵に落下の情景は似ていた。
重力を感じ落下していく車とその中にいる僕と友人。あー、死ぬと腹をくる。そしてランディング。痛みも衝撃もなく生きている自分。
葛飾北斎が描いた富士山を見るように落ちてきた山を見ているとたくさんの知人が無事を確認しにやって来る。そこからの会話ややり取りは過去に経験があるような出来事ばかり。

そうこの夢の中で唯一の未体験は死ぬということなのです。他のすべてが何かしら経験に答えを導けるという。
海馬が情報を処理・再構成する過程で見るのが夢らしいです。意識的・無意識的を含めた経験が夢の駆動力とするなら、そら富士山のような山から落ちても死にません。だって、死んだことがないから。

これは圧倒的な当たり前の出来事なんだけど、日々答えを探し求めるようなクリエイティブと称されるの仕事に振り分けられる自分の仕事を思うと、とてつもなく大きな溝を感じてしまった。なぜなら日々経験(実験)とそれらから導きされる回答を求めてる中で、絶対的な経験は体験しない限り得られないものがあり、それを得た時点で全てが終わる経験の存在を知ってしまったからです。

あの地面に打ち付けられた時に「あれなぜか生きてる」とこの2019年12月に生還できたのは実は奇跡だったのかもなどと。
寝てるときを無防備だとするなら、そこで見ている夢の人生に取り込まれることはどういうことなのか。などなど。朝起きて面白いと思った反面ぞっとしたのでした。

脳みそよ夢でも現実でも善きにはからってくれ!!!ビールをやるから。。。それがアカンのか!?寝て考えようー。Viva matrix reloaded!!

金曜日, 12月 06, 2019

良い思い付きのはず!知らんけど。。。

スマホやタブレットにこの先搭載されるかなって機能がふと浮かんだので、書き残しておこうかなと。それは、

プロジェクター機能

写真や動画を壁やスクリーンに投影するのはもちろん、AR(Augmented Reality・拡張現実)の機器としてメガネやコンタクトレンズの他にプロジェクターはあり得るんじゃないかなって。

寝転がって天井を見つめながら流れる動画の音声を聞きなが、ふと思いついたのでした。
僕は出たら使ってみたい。スマホよりタブレット端末が先かな。欲しいリストトップのiPad Proにこの機能が付くと飛びついてしまいそう。。。

そんな妄想膨らむ金曜日の朝でした。はよ仕事に行け!!

火曜日, 12月 03, 2019

2019年15冊目(343)

大人の教養としての アート入門 (スマート新書) Kindle版
山内宏泰 (著)
ピースオブケイク (2018/4/16)

僕がアートに思いっきり触れたのは2009年にニューヨークでたまたま降りた駅のたまたま出た出口の目の前にMoMAが立ちはだかった事に端を発します。

その後ヨーロッパ各地の美術館をまわる機会もあってアートの面白さ深さ美しさ楽しさを感じたせいか「自分では」日常に溢れるアートや美的感覚と言ったものを結構意識してすごせるようになった気がします、知らんけど。

でも確実に知識としてはハリボテみたいなもので、それを勉強するにはパワーが要るしという中で読んだ(途中聞いた)この本はとてもよかったです。

やっぱり歴史的な流れを知ることは理解を深める上で大事ですね。こんな例えが正しいかは分からないけど、誰がいつM-1グランプリのチャンピオンになって誰が決勝に残ってたかを知ってるかで漫才の流れを知れるような事に似てるなーって。

AがあってBが出てきてCが続くみたいな。点として単体の面白さが面になります。それに付随して西洋と日本の歴史の流れを掴む事で立体的になる、なぜなら葛飾北斎の残した功績は偉大すぎるから

日本も西洋もきっかけは宗教画だったなど、短い部類に入る本ですが僕にとっては内容がとても深く学ぶことが多かったです。

こういった市民講座ってきっと面白いんだろうなー。逆に、このような市民講座を開けるて喋れるようになれたらええなーって思いました。
目指せ世界を舞台にする漫才師!!(なんでやねん!)

金曜日, 11月 29, 2019

音圧ってあるよねー

少々汚いぐらいの方が免疫力がついて良い的な話を聞いた事がある。抗菌やら除菌やらが当たり前だけど、それが真に健康的なら昔はどうやって生きていたのかって話になる。耐性って言葉もあるし。人生はサバイバルと捉えるなら、多少のノイズがあった方が精神的にも身体的にも健全なのかもしれない。

ただ、そのノイズが騒音になると甚だ迷惑になると僕は思う。
ある出来事が急に不祥事と化す時によく聞く言葉がある。批判が殺到したである。それをメディアが取り上げて火に油を注ぐ形で大きな炎になるケースをよく目にする。

全米が感動したやら泣いたやら震撼したやらの謳い文句をよく映画などで目にする。その全米に居るが感動も泣も震撼もしたことはまぁー無い。いつもそれらの騒音を後で聞くことの方が殆どだ。

要は「全米で映画を見た人たちにとって」の出来事である。じゃー、それは人口比の何パーセントなのかなんて話は聞く由もな考える事もない。同じ要領で殺到した批判の数なんて聞いた試しがない。殺到からイメージする数は僕にとって少なくとも3桁や4桁なのだが、続け様に起きる9件は殺到なのかもしれない。が、僕が声の大きさがかなりの割合で殺到度合いを増強してる気がしてならない。

ノイズ慣れして騒音の大きさを客観視出来るぐらいに逞しく生きる事が今の世の生きる術なのかもしれない。

そんな事を思いながら日々Twitterを眺めているのだが、炎上してメンタルを保てる自信があるかといえば。。。分からん!!
ただ言えることは、酒を飲んでる飲んでないで対応変わるやろうなーって。果てさて、わしゃ酔っ払い時のマインドを基準にすればええのかどうなのか!?そもそも今も飲んでいるし。ノイズ以前にまず自分のノイズをキャンセルせなあきまへーん!!

水曜日, 11月 27, 2019

プラスマイナスゼロは良いことなのかも

科学技術の進歩によってがん医療の現場などで本当に僅かな物質を検出することで早期発見に繋がる事例を見聞きする。
それは素晴らしい事だと思うだけど、それが僅かな物質であるだけに感じたことがある。

「何かを血眼になって見つける」行為と「特段に異常が無い事を確認する」行為はどちらが有意義な行為なのかと。

前者の場合見つかった結果、更なる精密検査を行う必要が生まれるだろう。
後者の場合見つかった結果、即入院などのある程度の規模の行為が行われることは自明である。

いろんな検査を受けすぎる事は実は身体にとって大きな負担となっているという記事を読んだ記憶がある。

ミクロ的かマクロ的か。医療費などを勘案してこの辺の最適解を見つけ出す事って実はとても大事な視点だと思う。
医療のケースを引き合いに出したが、これは日常生活や日々の仕事の中にも応用できそうである。

時に拘りが必要な時や「拘ろうぜ!」という引き込まないと場合もある。その逆で、一旦ストップ。引いてみてみようと促す必要性がある状況もあるだろう。

モノを常に違った見方で捉えることが出来るかが、それを実現するための要素だと思う。ただその見方をするためには余裕と言った心のゆとりが必要ではないかと。

とどのつまりは「肩肘張って生きるとロクな事ない」って事なのかもしれない。
明日は祝日だけど、少し作業をしに来ないといけない。肩肘張ってるやん!
だけど、今日はさっさと帰って酒でも飲もう。肩肘張ってないやん!
ジャルジャルのあの漫才面白かったなー。。。

日曜日, 11月 24, 2019

過去と未来を繋ぐきっかけ

アメリカに来て初めてNBAの試合を一人で観に行った時のこと。
高校までバスケに明け暮れてた自分にとってテレビ越しに見ていた光景が今自分の目の前にある現実にニヤニヤしていた。
そこには「この場所にいる」高揚感から英語を話せない・聞き取れないなんて些細な事になってしまった。
そんな僕が全身をゾクゾクっとさせる出来事と試合前に遭遇した。

国歌斉唱である。

当時は「君が代」は厳かで国際大会の試合前に聞く曲としてはどうなのだろう。と言った話は聞いたことがあった。それを脳裏に意識したのは人生初のアメリカ国歌斉唱を体験してからだが、この会場のボルテージが上がっていく光景はもう感動でしかなかった。
その後もこの感動は常にアメリカの4つのメジャースポーツを見に聞く際に感じたし、今も感じることである。

君が代の持つ厳かな空気感。実際、僕の記憶が正しければ君が代の意味を音楽の時間にプリントを使って学んだ記憶がある。中学生の時だったと思う。

「千代に八千代に」「さざれ石の」「巌となりて」「苔のむすまで」

へーって思ったし、その意味は僕の記憶と習った事が正しければ今でも説明できる。

成功に終わったラグビーワールドカップ。時差的な問題で唯一観れた日本vsアイルランド戦で聞いた君が代は僕に全く違う印象をもたらした。
この大会に向けて選手達があり得ないと自ら口にするほどの厳しい練習をやり切ってきた日本代表。
この大会中に知った事だか君が代の意味を理解する機会を選手間で持っていたという。それは外国籍の選手が日本代表として戦ってくれるための「愛国教育」とも言えるかもしれない。でも、彼らはそれを求めると思う。何故なら僕のアメリカ国歌斉唱の経験が1つ。そして、永住権を持った人がアメリカ国籍を取得する際に国家を歌えるかが試験の一つにあると友人から聞いたから。
日本人でさえどれだけの人が君が代の背景を語りながらお酒を酌み交わせるだろうか?

君が代のは試合前に聞く国家として実はものすごく最適なのかもしれない!と思ったのです。
厳しい練習を重ねたアスリートにとって試合前の不安を解消する唯一の方は自分に自信を与えてくれるモノ思うこと。そう、それは厳しい練習に耐えしっかり準備した事実に違いないはず。それを思い起こす際に君が代の持つ背景や曲調こそアスリートを試合に向かわせる触媒ではないかと。
それを思った瞬間に君が代を歌う日本代表という枠の中で戦う事を決心した世界各国の侍たちの姿に自分は泣いてしまっていた。周りに悟られないように必死に隠していた。
君が代は試合前にこそ聞くべき曲なのだ僕は思う。うちから湧き上がる闘志を確認し自身に変えるために。

それを気付かせてくれたラグビー日本代表とラグビーワールドカップ感謝です!

君が代を歌える聞ける舞台を求めて。。。
僕にとってそが実行可能な舞台。
karaoke time!!!

土曜日, 11月 23, 2019

2019年14冊目(342)

イチローさんが語る「チームとは」の動画がとても刺さりました。

良いチーム・良い空気・良い環境にはずっと興味があって何が最適解を導く方程式なのか(まだそれを実践できるチャンスを貰える機会はなさそうですが)模索を繰り返してます。

百聞は一見に如かず
一を知って十を知る

この相反する作業をいかに効率的に行えるかってとても大事で、この二つを方程式の左側とするなら

良い失敗をしていかに学ぶか

これが「=」が引かれる解になるのかなって。

スラムダンクの山王工業戦を改めて読んで思ったのが「湘北高校の選手はみな何かを感じれる選手だった」という事です。なので作中の彼らの成長を読者は自然に受け入れられて、最強・山王工業を負かす話を名作として受け入れられた。

ヒントは日常に転がっていてそれをどう綴るか。そんな中で読んだこの電子書籍が「もっと文章を書け!」と背中を押してくれました。

みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門 (スマート新書) Kindle版
古賀史健  (著)
ピースオブケイク (2017/12/3)

そういう事でいっとき投稿が増えました。間が出来ないように何かを書き続ける癖を身に付けたいと切に意識ました。如何せん仕事上文章を書く作業は必須でそれが僕にとって一番ダメなスキルだから。
こんな事を書きながらもう暫くの間が。。。
明日は書けるのか!?ボチボチいきまづ(← それがアカンねんって!!)

金曜日, 11月 15, 2019

現象には必ず理由がある理由はなにだろう

木から離れた葉っぱがニュートン力学に従って地面へ。
そこに止まっていた車。

ある葉っぱは車を避け(真下に車が無かった)地面へ、違う葉は車の上に。ある葉は車の側面やバンパーに当たり本来の落下位置からずれた場所に。

落ちるタイミングと車の存在によって運命が変わる葉っぱと変わらない葉っぱがある。

葉っぱには意思があるのかなどと話し出すと、植物も痛みを感じるのかなどと違った方向に向かいそうなので触れないが、人間の生活も僕が見た葉っぱのようにタイミングと物理的な要素でさまざまな変化が起きているのだと思う。

偶然会った知り合い。その時間にその場所で会うには、5分家を早く出ようと決めたことや捕まったと思った赤信号もすべて大事な要素になってくる。そんななかで「あっ」って思える偶然がここ数日とても多かった。

そんな時は無意識と意識が上手く連動してよい方向に進んでいる。「回っている!」と考えるようにしている。
残念な事や上手くいかない事が続いている時に、こういう偶然に出会うと「あれでよかったんかなー」って過去に囚われてた自分が一気に現在にから進みだした気分になる。こういったポジティブサインを可能な限り回収していきたいとふと思ったある朝の出来事でした。

そんな自分も人にとってポジティブサインな存在だったらええなーとも思う。酔っ払いの時の僕はデビルやな。ブラックデビルになると明石の力で楽しくなれる。。。わけない!!

日曜日, 11月 10, 2019

be動詞のbe. be there...

首里城が燃えノートルダム大聖堂が燃え。有が無に帰す。熊本城も崩れた。
有形文化財が存在することに苦労する中で無形文化財もある。人間国宝は有形・無形!?

本当に些細なことで全てが綺麗に無くなってしまう事が起きる。
でも、何度も這い上がるような事象もある。

無になること前提にするのか、有に至る事を前提にするのか。

ポジティブリストとネガティブリスト。

世の中は起承転結・喜怒哀楽で溢れてるけど、個々人の捉え方って案外すごい狭い枠でしか動いてないのかも。

琵琶法師が吉本所属だったら日本中世界中で「諸行無常」を歌って廻ってるんちゃうかな。二次創作で大ヒットも。100万回再生とかミリオンヒットとか。

悲しいけど前向き、嬉しいけど後ろ向きで僕は生きていきたいと思ったのでした、”知らんけど“

金曜日, 11月 08, 2019

老舗たる所以

生まれも育ちも大阪の僕は関西のチーム贔屓です。阪神も好きですがどちらかといえばオリックスに頑張って欲しい派です。今でも初めて行った阪急西宮球場の阪急ブレーブスの試合が脳裏に残ってるからです。

さて、最近こんな僕に大きな変化が起きてます。それは読売ジャイアンツええやんです。伝統をきっちり守ってるのは本当にこの球団ちゃうかなって。
阪神タイガースも伝統があるかも知れませんが、ここ数年の人事のゴタゴタをみるとどうも球団コアの人が伝統より保身というか違う部分で動いてるように感じます。もし伝統を重じているとしたら下手くそなんだと思います。
そう言う点でジャイアンツはしたたかだなと思うのです。

FAで四番ばかりと言われた時期もありますが、野球人があれだけ集まる球団はやはり魅力的なんでしょう。魅力をどう使うのか、この差でタイガースは明かに負けてると僕は思います。

あと、ナニワのマスコミも原因かも知れませんね。ナニワの「扱い方・いじり方」は好きですが、昨今のファンはSNSなどで違う次元で応援してる気がします。選手とメディアとファンの距離が関西は結構歪なんちゃうって感じてます。東京に住んで在京メディアのジャイアンツ評を目の当たりにした事ないですが、もっと遠い北米大陸で好きな日本野球を追ってるこんな僕が至った結論がコレなんですわ。

歳を重ね丸くなって嫌いな球団なんて存在しない感じになった結果かもですが。この辺同年代のヒヤリングが絶対に必要なので個人の意見です、はい。

長らく甲子園に行ってないし一度も東京ドームに行ったことがないので、ふらりフラットに日本の野球見に行きたいですねー。でもこれだけは、オリックスまじ頑張れ!!関西のマスコミは阪神に寄りすぎじゃーーーーィアンツ!!

木曜日, 11月 07, 2019

2019年13冊目(341)

言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか (集英社新書)
塙 宣之 (著)
集英社 (2019/8/9)

言うてる間にこの季節です。予選はこの週末の3回戦@東京を経て佳境を迎えていきます。日程的に今年は以前のように年末のイベントになりそうです。

枕はこれぐらいで、もし漫才(お笑い)が好きでM-1にワクワクするなら読んだ方が良いです。
プラモデルを作る時み正確に作りたいなら説明書を読みます。北欧の家具ブランドIKEAの商品にも簡潔で分かりやすい説明書が付いてます。見なくても作れそうと言うのがミソです。お笑いの方程式と構造を理解して損はないでしょ。

M-1的な漫才は就職活動してる学生や僕のような仕事で発表が必要な職の人は学ぶべきもが多いのではとつくづく感じました。限られた時間の中で自分を知ってもらい相手に好印象(笑い)を提供する。顧客満足度100%を叩き出した人が勝つ。人生でそんな場面は多いでしょう。だからこそ仕組みを知るんです。

塙さんは「ボケたいから芸人になった(P87)」で書いてます。この言葉が僕がなぜ現職にいるのかストンと腑に落ちました。したい事を許される環境探しとマッチング。これが働き方改革の肝だと僕は勝手に確信しました。塙さん、ホンマにおおきに!!

書き出すとキリがないのでこの辺で。好きな内容はスッと入ります。しゃべくり漫才を聴くかのように読み切りました。そう、何度も読み込もうと思います。

好きな分野の面白い本があるっていいですね。映画・マトリックスのように脳にダウンロードしたい!記憶はダウンロード!?受験生の脳みそはテラバイトやー!!(読んだからと言って面白くなるわけでは僕の場合は無いようです)

水曜日, 11月 06, 2019

2019年12冊目(340)

天然知能 (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー)
郡司ペギオ幸夫 (著)
講談社 (2019/1/12)

天然知能と言うタイトルから思い描いていた内容は9ページ目で尽く異なるものだと知らされます。
人工知能・天然知能・自然知能の三つの区分けで話は進みます。
この自然知能を天然知能と思っていたとい結末です。
果たしてこの天然知能と言う概念が何とも面白いのだけど難解であり、分かったような分からないような、脳が明かに苦労していますがそこにに引き込まれました。

僕の持ち得る言葉で表現すると何とも安っぽくなるのですが第六感というか予知夢というかデジャブというか、なんとなく感じる。無意識と意識を足して2で割ったような。
葬式のような空気のピンと張った空間だと本当に些細な事で腹が捩れるぐらい笑いそうになったりするような、真面目な場で不謹慎な事を考えてしまうダメさ加減、緊張と緩和が存在するような空間が生まれる脳内とでも言うのかな。

この1.5的な0.5的な感覚や存在をどう捉えるか。その捉え方に関する指南書といえば分かりやすいかも知れないですねー。シュレリンガーの猫を僕は思いだしました。この分かりにくい概念説明することの難しさに似ている。

この概念を好意的か否定的に捉えるか、となりそうな感じだけど僕はこのゼロサムでなく、「そんなものがあるのだと」と思えるかこそが大事な概念で現代が寄り添うべき思考なのかなって思ってます。ゼロサムにするとゼロもサムも正義になりお互いが削りあって解はでない。中間的な「知ろうとする」「知らない事をよしとする」でええんちゃう、オモロイやん!

これが天然の美味さと喉越しですね!味が複雑すぎて路頭に迷いかけますが(実際は迷った)けど、これでいいのだ!赤塚不二夫偉大です。脳みその筋トレでも無いストレッチでも無いイチローさんの初動負荷トレーニングに是非!