木曜日, 2月 28, 2019

認知度

先日の朝、ある待合室で流れていたテレビ。日本テレビ系列の朝の情報番組。その中の一つの話題で「2018年M-1グランプリチャンピオンの」の言葉が流れる。他局の賞レースのタイトルが普通に使われている事に改めて「おっ」っとなった。

時に他局の番組や他局自体の話を番組でする時はXXXの方にある局だのYYYが司会の番組だったり宣伝になるか局内のコンプライアンスなのかオブラートに包む光景をよく見聞きする。なのにM-1はもう市民権を圧倒的に得てバンバン使われている。紅白歌合戦のように。何がこうさせたのか。

それは
1)グランプリを勝った人たちが本当に実力があって
2)グランプリ自体の認知度が圧倒的で
3)番組出演者がそこで勝つことに本当にリスペクトをしている
からかなと僕は思った。

1)その後の活躍は見ての通り。ただ第一回大会に出た演者たちはホンマに賞金くれるかすら怪しい半信半疑の番組。演者以上に視聴者や業界の人がこのコンテンツの凄さにタマゲタのではいかと。
2)演者の活躍に付随しての要素が大きいとは思うけど、オブラートに包むことが馬鹿らしいぐらいの認知度になってしまった。
3)今のテレビ番組で芸人さんが出てない番組は本当に少ないのでは。報道に近い番組でもMCだったりコメンテータだったりで出演している。立ち位置的に芸人さんからタレントさんになった方々もいるだろうけど、漫才を作る難しさとあの競争を感じられるからグランプリ後は皆さんがおめでとうと祝福するし言及する。

そんな演者さんが多い番組構成だから必然的に時間が割かれる。それは昔の音楽番組全盛期で紅白が大きな話題だったように(今も大きいとは思うけど)。芸人さんやタレントさんがテレビ番組への露出が減って映画俳優ばかりになったら違う賞レースが世の中を席巻するのかもしれない。

世の中に出るにはインパクトは必要だけど、その後も出続け認知されるまで進むにはストックを持ち合わせておかないといけない。これは僕の身近で世に出て行って活躍と認知度を上げている人たちを観察して感じた。マーケティングなんて言ってるけど、これが無いとマーケティングしてもそのデータは生きないと思う。このことに気付かず、マーケティングに文句を垂れている人は意外に多いんちゃうかと。

M-1の日本中の認知度もこの法則に合ってる、いや友人たちの活躍はM-1と同じなのかもしれない。

顔と名前と仕事を覚えてもらって一人前が自己のコアとしたら、印象と座敷と在庫と抱えて一人前が自己を取り巻くレイヤーになるのかな。
ちょっと我ながら良い分析。ってはよ自分に応用せんかいな。。。それそれ!!

2019年5冊目(333)

時間と自己 (中公新書 (674)) 新書
木村 敏  (著)
中央公論新社 (1982/11/22)

日々の日本語の表現の中で「こと」「もの」という言葉を使っている意識は常にあって時に「事」と感じにしたり「モノ」とカタカナにしたりして、自分が表現したい対象を示してきた。ただこの2つが示す対象が捉えている実態は何なのかなんてと言う考えなんて一切思いもよらなかった。
「から」や「まで」が何から始まってどこまでなのか。未来とは過去とは。それを認識する自分の存在に対する時間とは。これらの理解を深めるために、自己と時間のバランスが不幸にも崩れてしまった病を患った人たちの時間の捉え方を観察し考察する。当たり前の何が当たり前かを知る作業。こんな発想があるのかと唸った。

生きるとか今とか死ぬとか一体なんや?宗教とか科学とか芸術とかで語られる理解を超えた何かを読んでるような体験。「はー」とか言いながら分かっているようで多分分かってないやと思う自分。日本は昼でアメリカは夜でヨーロッパは朝で、時刻がずれてるけど同じ惑星の上に居てとか、日本を3日の夕方に出てアメリカ着が3日の昼前とか。これってよう考えたらなんやねん?
takeやhaveを辞書で調べたらアホほど訳の種類があって、持つを英訳してもhaveの時があればtakeの時も。100%の一致なんてない。空間を言語や記号で切り取った時に生まれる溝っていうけど、そもそも切り取るとか空間自体がどういうことやねん!

何か新しい見方に気付くような期待感を持ったけど、表現できるか?表現した時が理解なのか。恩師がバイブルのような本だと著書の中で書いていて手に取って、そこで仰っていた深さを知り、自分の浅さを感じた。きっと、またどこかで読まないといけないけど、次回手に取る時はどんな「時」になっているのか。いや、その時があるのか。見上げているのか見下ろしているのか。
とにかく今出来る事をやるしかないと思ったのでした。それでも、人は怠惰になり文章にするまで数日。なんとも自分が嫌いになると思いながら「好きとか嫌いとか」ってなんやと。

全てがお題で大喜利やーー!!座布団10枚目指して頑張ろう!!

火曜日, 2月 26, 2019

2019年3-4冊目(331-2)

ジャイアン2.0: 四次元ポケットの作り方 Kindle版
尾倉 侑也  (著), 山田あきと  (著)
Amazon Services International, Inc.

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! Kindle版
苫米地英人  (著)
コグニティブリサーチラボ株式会社 (2014/4/14)

ジャイアン2.0という名前が面白くて手にとってみました。
要はシェアリングエコノミーの未来とネットワーキングも可能性の実体験をです。それを若い筆者たちが臆する事なく進む姿に希望を持つ同世代は多いかもしれない。

彼らはネット世界を四次元ポケットと捉え、シェアリングエコノミーにおける共有を「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」と言うジャイアン的発想から発展させて「俺の物はお前の物、お前の物は俺の物」としてジャイアン2.0とした。
面白い相対化だと思う。ただ四次元ポケット的な便利さまで議論するならオフラインという考えを入れて欲しかった。ネットに繋がらなくなったら何もできない。この限界がある以上四次元ポケットには遠く及ばない気が僕にはする。なぜなら、四次元ポケットはドラえもんの腹部から自由に取り外すことが可能で誰もが使える(洗濯もできる!)。道具はドラえもんを離れても使える。ここまで踏み込んでほしかった。
ジャイアン2.0という考えも「俺の物はお前の物、お前の物は俺の物」となる点でジャイアンらしさが消えている。かつみんなで作っていくような要素があるので僕にはジャイアンβの方がしっくりくる。
細かいかもしれないけど、面白いネーミングだからこそここまで練ってほしかったのが僕の感想である。

成功体験は一例として希望を与えるけど誰もが同じようにしても上手くいくとは限らない。その反面、失敗体験は同じミスを繰り返さないための財産となるので共有する価値が非常に高く汎用性が高い。
その轍を踏むと苫米地さんの現状の閉塞感の分析からの打開策の提言の方が応用力があると言える。ただ、これを実行するには意識改革が必要でそれが出来てない現状に向き合わないと始まらない。

ゴールやコンフォート・ゾーンの新たな設定などは以前読んだ「習慣の力」にも似た考え方。正しく認識するから原因を正しく理解でき正しい行動や考え方が生まれる。この認識の枠に他人の目や常識・感情などが関わっている現実を理解でき変えれるか。この一歩を踏み出せるか。この本を手に取った人を観察してみたいなって思いました。その小さい作業・ひと手間が出来ない人が大半で、日々それを言い聞かせて動いている自分がいるからです。

改めて自分の認識を認識する再認識作業をできた気がしました。
さらに、この本のStep3にある「これまでの自分」というゴミを捨てるの項で議論される過去や未来に関する記述が次の感想に書く「時間と自己」にリンクしているように認識できて自分の高揚を認識したのでした。

って、認識認識うるさいなー!!!って、それを認識してるのか!!!
って、四元ポケットの中はどういう認識なんやろう。。。

2019年3-5冊目(331-3)に関して

ジャイアン2.0: 四次元ポケットの作り方 Kindle版
尾倉 侑也  (著), 山田あきと  (著)
Amazon Services International, Inc.

「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める! Kindle版
苫米地英人  (著)
コグニティブリサーチラボ株式会社 (2014/4/14)

時間と自己 (中公新書 (674)) 新書
木村 敏  (著)
中央公論新社 (1982/11/22)

一見まったく違うような3冊なんですが、何根底に共通するものがある気がしました。それは考え方の転換または意識化だと思います。
ただ今回ここに記したいのはこの3冊を並べた時に感じた事。良い悪いではなく、レベル・ランクというのはあるのだなと。上下の表現より物足りなさや満足感とした方が良いのかもしれないけど、この感覚が生まれる過程にはその人が持つ知識や読解力といった力量が絶対に関係すると僕は思うのでレベルとしたい。

ジャイアン2.0は面白いけどどうも軽さや青さが残るライトノベルのようで、「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!(以下苫米地本)は著者の本を多少読んでるのもあって僕には馴染みかつ再認識を導くものであるが人によっては自己啓発本の実践系とでもなるかもしれない。
時間と自己(以下時間本)は久々にガツンと脳を稼働させてくれた。正直あと2、3回読み込まないと理解も程度は上がらないかもしれない。ただまったく考えもしなかった切り口を与えてくれて、自分のプロジェクトや周りの出来事を再考する気かけになりそうなインパクトだった。

人によってはあるいは昔の自分だったらジャイアン2.0で時間本のような感動を得ただろうし、苫米地本をすっと読み切れる体力があったからこそ時間本を手にとってみようとなった可能性は高い。いきなり興味と好奇心だけで時間本を手にしていたら読み切れたとしてもどんな感覚に陥ったのかは興味はあるが、おそらく途中で本棚の肥やしになったのではないかと想像に難くない。
読書経験・体験という言うものがどいうものかを実感として考える機会を得たのは、この3冊をこのタイミングで同じ時期に続けて読む事が出来たから偶然。読者層とか誰に向けて書くとか執筆側と読者側の関係を意識したのは初めてでとても面白かった。Kindle unlimited のサービスというきっかけによって生まれた出来事は記しておきたい。定額サービスへの考察も必要だ!

で、各本の感想は以下のように分けて書こうと思う。
後半へ続くー!!って誰が興味あるねん!!

木曜日, 2月 07, 2019

2019年2冊目(330)

ゲンロンβ32 Kindle版
東 浩紀  (著), 沼野 恭子 (著), 土居 伸彰 (著)
株式会社ゲンロン (2018/12/28)

かれこれ5, 6年前ぐらい毎月文藝春秋を買っていた。毎月こういった月刊誌をちゃんと読めたらさぞ知識と教養が身に付くのではないかと。果たして、ささっと流し読みや本棚の肥やしとなってしまった。
このゲンロンβ32は代表の東 浩紀さんが巻頭言「等価交換の外部へ 」で自身に起きた困難に関して記している事を知り、その詳細を知りたくて買ったのが主の理由でこの本の感想には件の文藝春秋同様加えないでいるつもりだった。

しかし、「ゲームにおける反復と追体験(前) 土居伸彰+吉田寛+東浩紀」がとても面白く思うことがたくさんあったので残したいということでカウントしてみた。

ゲームと言う存在への批評とゲームをするという事。全く関連してなさそうだが、似たゲームが出たりゲーム内に他のゲームのパロディーが出る事を通じて僕たちはゲーム間の関係性を捉えて文句や感嘆をあげる。
子供でもできるいたって純粋な行為だけどこれが大事な姿勢なのかもと思った。アニメなどの二次創作も同じような出来事だけどデジタル・プログラムという再現性に富にで複製が容易だからこそ、面白い存在なんだと。

映画のような感じ方以外に体験そのものという要素があるゲーム。プレーヤーごとのスキルでクリアまでの時間や手間がちがう異なるプレイ経験にも関わらず同じゲームについて語れてしまうと言うのにはなるほどと思った。それは旅にも言えるかもしれない。どこに行った的な。

そしてこの経験を触覚ととらえタッチパネルや「RT」や「いいね」を押す行為にまで広げることで新しいメディアを考えるというのはとても深い!

このゲームの経験が追体験いう話題に触れた時に「あ、書き残そうと」と決めたのである。何かを介することによって本文の言葉を借りると「他社の生を生きること」になる。

twitterを見ていて「賛否両論の『ボヘミアン・ラプソディ』5回見てわかった「ラスト21分」4つのウソ 映画は嘘をつくから素晴らしいのだ」という記事に出会った。この映画が史実と異なる部分がある事は言われているのは知っていたし、僕自身はそれを突き詰めたからといってどうやねんという考えだった。なら読まなければ良いのに読んでしまった。感じたのは同じことだが、確信したことがあった。
この映画は追体験そのもだという事。
映画を観ることは同時に自分がQueenを知り理解し共感する事なのだと。この「うまく出来た再現性」が追体験へ引きずり込むから感動するんだと。

昔あったゲーム・コナミワイワイワールド。コナミのキャラクターが勢ぞろいですべてのゲームをした気分になった。
立川談志師匠の死後に放映された情熱大陸の中で、高座に上がった師匠がたくさんの古典落語が散りばめられた噺をする。
このオムニバス的な体験も追体験と共に人(特に知ってる人)を引き込む要素ではと。
料理人・菓子職人・研究者などは再現性を通じて追体験をすることを経るから、人に新たな追体験の機会を与えられるような作品や発見を生み出すことが出来る。
そんな追体験の感動もやがて慣れとなりそこにある景色になってしまう。人間とは贅沢な生き物だ。

後半、まだ読んでない。。。この追体験はどうしよう。。。

土曜日, 2月 02, 2019

冷たさと冷たい?相対と絶対

昔からよく手が冷たいと言われ、「手が冷たい人は心が温かい」など言っていた。
最近握手などで手を握った時に僕の方が温かい人や場合がある。「こっちが温かい時は冷たいし、いつも逆」と言われたのがきっかけで思った。
自分が冷たい・相手が温かいのは相手があっての感覚だから体感のそれと実態の温度とは乖離があるのではと(とはいってもかなり体感と実態には相関があると思うが)考えたのだ。氷点下数十度の外に比べたら冷蔵庫の方がが温かいのと同じように。

日本人は手先が器用だという言説は海外で生活したり外国人と働いたことがある人なら実感はかなりあると思う。僕自身も感じることは多々ある。
でも先の話。手の温度の相対と絶対からこの事象に関しても見方が変わった。
「日本人の手先が器用」とういうより「外国人に手先が不器用な人が多い」方が正しい捉え方なのではと。
なんでこれが出来ないかね?なんて思うことがあったりする。「できる自分がスゴイ(出来ないのが普通)」とするか「出来る自分は普通(できない方がおかしい)」とするのか。

こんなの言葉遊びのようだけど、これは「尊敬語や謙譲語」という表現や「能動と受動」という主体の根元ではないのか?なんて。
この2つをうまく使いこなせると意識の変化や相手への配慮など感じる世界が格段に豊かになるのではないか?なんて。
帰納と演繹に相対と絶対は近いのかな、なんて
最近よく意識する対処と根治とは少し毛色がちがうのかな、なんて。

アジアカップの決勝で負けた日本代表を絶対で評価するのか相対で評価するのか。僕はW杯がゴールと考えたいので相対的にみて考える機会をたくさん持てたとても有意義な準優勝だと思う。
マスコミはいつも絶対的な気運が高い気がする。受け手が相対的な立場でいること。これがメディアリテラシーなのかもしれない。相対の幅を広げる作業・インプットを続けたいです。

今の自分の手。相対的に絶対冷たい。今日は外寒いがオレも寒いぞ!!!

金曜日, 1月 25, 2019

エネルギー

今日は風も強く寒い。そんな土曜日の昼前。公園内のグランドでは草野球と少年野球の声が飛び交う。サッカーでなく野球というのが何だかんで野球が日本では身近なスポーツであることを感じる。そんな景色に雲が晴れ太陽の光が降り注ぐ。

あたたかい。温かいではなく暖かいのような気がする。

太陽が与える暖かさには敵わないといつも思う。この暖かさは光となり視界を与えソラーパネルを介して電気をも生み出す。体内ではビタミンを作り、植物は光合成を行う。
とてつもなく遠くい宇宙からやってくるのに強さを備えたまま。エネルギーを与える。


映画Bohemian Rhapsodyの最後。live aidのシーン。音楽の持つエネルギー。
僕はライブの観客を東日本大震災の被災者の方たちに投影してしまった。
震災後の自粛。好きなお笑いは不謹慎に変わってしまう。笑うというのは実は感情というエネルギーが高くないと起こらないのかもしれない。
そんな悲しみや不安な感情にエネルギーを注ぐには音楽が有効なのだと思う。
復興を促すコンサートでミュージシャンの演奏を聴き涙を流す人たちの映像を思い出す。
その演奏は焚火を囲んでのギター1本もフェスのような大規模なのも同じエネルギーで心を暖めるのだと思う。暖かさに涙するのかな。


またlive aidのシーンは演説や講演で聴衆の前に立つことの感情も想起させた。
選挙で支援者や有権者の前で。聴衆の心を動かす震わせるエネルギーが無ければ投票に繋がらない。講演で聴衆に感動や驚きを与えるから、色んな発見や研究成果は認知され広がるエネルギーをまとう。
去年リタイアしたボスと一緒に学会へ参加した。僕もスピーカーとして。当時は緊張と興奮の間ですべらないように!と必死だった。ただ壇上に立った景色は今も忘れない。壇上から僕が見た景色は2日前にボスも観た景色。こんな感じの景色を前に発表を長年されてきたのかと、今その景色を想い出す。リタイアまでに同じ板に立ててよかったと思う。勝手に思う、バトンは受け取りましたと。思い出はこれからの活力へエネルギーへ変わる。


エネルギーは生み出され伝播し吸収されて新たなエネルギーに変わる。どんな性質のエネルギーになるかは、作り手次第であり受け手次第でもある。
全豪OP女子シングルス決勝で大坂選手のエネルギーを感じれたらと思う。
あの舞台でプレーし何かを感じた彼女から、それを観た人たちから、結果を知った人たちからまたエネルギーが生まれる。僕も受け手となり作り手へと。何を作るか。観てみないとわからないけど、上手く変換したい。注ぐ課題はたくさんある。楽しみだ!!!

相乗効果を生むためにビールを買いに出かけよう。太陽が沈む前の残り香があればいいな。そんな素敵な土曜日。。。なーーーんてね!

水曜日, 1月 23, 2019

名案・嵩高く

映画を観に行った時に思った事。映画と言えば的なポップコーン。

あのバケツからモグモグするのがいいなーといつも思う、反面あんなに食べられへん。小さいサイズはあるけどあのバケツサイズがいいねんなー。しかも僕はあの買った時のモリモリな山の部分を食べるのが好きでやし。

そんな自分勝手な欲求を考えるうちに良い解決策が!!
容器のサイズは同じで量を変える。しかも、山盛り感を維持するためにエアバッグ的なのをかまして嵩高くしてしまえば(絵参照)。
image.png
見た目のケチってる感もないしええんちゃうの!!

思いついた時は一人ポップポップ。テンション上がった。でも結局ポップコーンは買わずビールを買ったのでした。。。
どこか採用せんかなこの案。絶対ええと思うねんけど。そうしたらビールとポップコーン買うで!!(説得力ゼロ)

月曜日, 1月 21, 2019

時計の針

僕は音楽に関しては情弱で好きな音楽ばかりを聴いてしまう人間です。
でも、そんな僕でもQueenは知ってるし、その中でも好きな曲はありました。
でも、あの歌声の主フレディ・マーキュリーについては全く無知でした。映画Bohemian Rhapsodyが封切され観に行く直前にベタにウィキで調べた程度です。
でも、元日に映画を見て彼の才能と人間性と苦悩に触れ最後のライブコンサートの映像が終わりDon't stop me nowで自分に起こった色んな出来事に対して思いを馳せた結果涙が溢れ出た。嗚咽と共に泣きじゃくってしまった。その後からQueenの曲が頭をグルグルずっと今も鳴っています。
でも、Queenの時計は一旦フレディの死で止まってしまった。
でも、その時計はあるきっかけを基に新たに大きく動き出す。時代だったりドラマだったりCMだったり。それが今回は映画だった。

The Postという映画はペンタゴン・ペーパーズというベトナム戦争に関する最高機密文書を巡る話。新聞社(ニューヨークタイムズとワシントンポスト)が報道の自由と政府との圧力の間戦いを描きます。この新聞社のスクープによって、政府内で閉じられていた真実が暴露され反戦の気運がさらに高まります。
絶滅した恐竜の遺伝子を分子生物の発展で扱えるようになった話がジュラシックワールドです。同作内で恐竜の遺伝子を「自然からの贈り物」と表現していたシーンがあったように思います。
2つの話はともに本来止まっていたものが動き出した結果・経過の話です。顛末はどうであれ。

人生においても昔の友人と繋がったり、仕事におて止まっていたプロジェクトが再開したり。またその逆の動きが止まるケースも。死などはその代表かも。もちろん遺志を受け継ぐ人がいれば作品や繋がりとしては残るのだろうが。
止まった時間が動き出す、または時間を動かす事ので起きるパワーをここ最近とみに感じます。見方によっては動いたのではなく現在と繋がったという表現も出来るかもしれない。ただ止めること・止まる時間があるからこそ、世代や時代を超えて影響を与えるモノとなる。それは時間という何とも不思議な空間の中で存在している。深い。とても深いと思う。

過去の論文をしっかっり読み返してみるだけで今見れば大発見になるような事が眠っているのかも。ただ、それを検索する時間に今できる事があるわけで。。。
時間よ止まれ!これが一番効率的、ただ時間が動き出さなかった意味がない。
要は、地道に日々を必死で生きるしかないのだ。ただ生きるな、善く生きろなのかもしれない。

今日は「ただ飲むな、善く飲め!」にしよう!良く飲め、欲飲め、ああ恥ずかし。。。

木曜日, 1月 17, 2019

2019年1冊目(329)

生涯投資家 (文春e-book) Kindle版
村上世彰  (著)
文藝春秋 (2017/6/21)

時代の寵児的にホリエモンさんと同時期に世間をある意味で「騒がした」村上ファンドの村上さんの本。
正直イメージは良くなくて何となく上から来るような感じの方かなと。ただ、やっぱり当時はメディアの報道に踊らされて一体あれは何だったのか知らない事が多すぎるので、当事者のバイアスはあるだろうけど手に取る必要があると。

やっぱり生まれ育つ環境というのはその人の人生に影響を与える可能性が相当に高い要素なのだと。家庭の関係で小さい時から投資が側にあった環境。それに伴って進み道から生まれる人脈のクラスター。これは想像が出来ない人には異次元であるに違いないです。

官僚という立場で国をどうするかを経験したうえで実際にプレーヤーとして動くことに決めた経緯。
「企業と投資家・株主との関係性」
この辺りの上場の意味や経営にかんする解説はかなり勉強になりました。
上場と非上場は英語でgoing publicとgoing privateと言う。上場企業は公にさらされる。だから買収もありえる。

なんとも英語の明瞭と日本語の表現の対比に驚きながら、漢字の強みと弱みを感じました。感じを教える上で出来た当時に空気が分からないと伝わらないような語彙が増えてきてるのかもなんて思ったり。脱線おしまし。

そういう点でニッポン放送の一連の出来事を解釈するとなんともホリエモン・村上ファンドの登場は理解できるものになる。阪神電鉄の話も分からないではない。国際化と言いながらシステムが適応できてない。システムをどう変える変えない勝手だけど、変えなくて何か大きな問題が起きても文句言うのは無し。その議論が起きて変えないで通した人は上手く行かなかった時は非を認めて謝る。社会のルールの会社の経営というか、今のご時世にぴったりのような寓話のようです。

そういう意味で、もちろんやり方はもっとあったと思うけど、早すぎた人なのかもと。道半ばな案件が多く本人も実行できず残念という記述が多かったのが印象的でした。描く絵が大きすぎたのかな。
人はたとえ論理的に見て正義だったとしても反発する。感情という正義。
大きい小さいの問題ではないのかもしれないけど確実に思いを実行する・できる難しさでしょうか。独立したりトップに立つ場合に参考になりそうです。

その後の東日本大震災でのNPO支援や「成長無きところに投資は起きない」という言葉を想うに、この方は「パトロン」的に活動されるのがおそらく一番合っていて、今はまさにそうされているのかなと。

昔のサイエンスはパトロン無しには成り立ちませんでした。格差が言われる中でパトロン的な考え方はクラウドファンディングのようなやり方と共に今後の生産活動において大事な視点かもしれないです。

パトロン。この指とーーーまれ!わー、なんでパタリロ来るねん。。。お後がよろしいようで。。。
(キンドル版が一冊目というのが実に面白い。。。)

2019年開店ガラガラ

2019年最初の月も半分が過ぎました。
早い!けど色んな出来事がすでにあった。この20日に満たない出来事が物語っているように今年は予測不明だと思う。

だからこそ結果(アウトプット)を出していきたいと思います。
どちらかと言えば質にこだわりたいタイプだけど、今年に関してまずは結果を見せる事に重きを置きたいと思います(質を無視するわけではないけど妥協するところ妥協する)。理想と現実なら現実に寄る感じで。

年の初めから気合を入れなと思わせてくれる出来事に巡り合えているのは本当にラッキーです。不義理をしないように走り抜けたいっす。
まずは高く飛ぶためにしゃがむ準備を春に向けて。。。アキレス腱もう治ってるよな。。。

月曜日, 12月 31, 2018

2018閉店ガラガラ

今年最初の投稿の主たる部分をそのママまずは掲載したい。

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2018年
100%言える事。

変化と適応

これから起こりうる未来がどのようになるのか予測できないけど、描いている理想と向かい合う(会う)であろう困難、そして試される適応能力。

今のところ、個人的に調子の上がらない傾向が強い年明けの中「ついてる」と思えるラッキーを回収できてるので、求めず自重しつつ最大限のアクティビティーを出せるように。

なので今年の目標は
年末に何とかなったなー!って遠い目で笑いながら酒を飲めるようなマインドセットで過ごす。

難しいけど簡単。なせなら気持ち次第。
簡単だけど難しい。なせなら心が折れるかもしれないから。

センサーを張り巡らせて酒の助けを求めつつ向かい合いますか!One more beer please :)
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結果なんとかなったなーと思う。
でも、ここまで思うように事が進まないとは思ってなかった。
あとマーケットにおける自分の評価と足りないことを露骨に知れた事は今後の財産だと思う。

七転び八起きとは言うが、転んだ時点で何かとプラスにこじつけれた。
その都度その都度、期待をエネルギーをもって向かえた。
上手くいかない時の向かい合い方はかなりがんばった方だった。
よくもまぁ、心が折れなかった。  

そして人生の中で人の暖かさや有り難さが身に沁みました。
僕らしく生き抜こくことの中から恩返しを必ずしようと思います。

2018年。忘れられない一年になりそうです。
2019年。好きになれるように努力します。
ありがとう!  

木曜日, 12月 13, 2018

2018年35冊目(328)

多動力 (NewsPicks Book)
堀江貴文  (著)
Kindle版・幻冬舎 (2017/5/26)

一つ前に読んだの乃が美の阪上さんの本と根底の所では同じマインドがこの本には詰まっていると思う。実際に、ここで書かれていることは僕自身が意識してたり目指したいと思っている考え方でもあったりする。なのでとてもおもしろく読んだ。

注意すべきは「ホリエモン語録」でもあるということ。ホリエモンが言いたいことをしっかり咀嚼しないと現代社会の荒波の中でもみくちゃにされて「こんなはずじゃなかった」「言ってたのと違う」ってなると思う。本の中にある質問力と同様に読解力が必要になると思う。

1から100を目指すには抜群な考え方だと思う。面白い点は堀江さん自身が「おもしろさ(0から1)」を求めで多動であるという事なのかもしれない。

どうやねんって思う人もいるかも知れないけど、如何せん服役という状況下でもやってのけた実績がエゲツない説得力だと僕は思う。
まぁ、言いたいことをまとめてみるなら。。。ここで一曲聞いてください。反町隆史・POISON(実際、ドハマリな気がするのは僕だけかもしれないが。。。)

水曜日, 12月 12, 2018

2018年34冊目(327)

奇跡のパン 日本中で行列ができる「乃が美」を生んだ「超・逆転思考」 単行本
阪上 雄司 (著)
KADOKAWA (2018/11/19)

筆者は言う「無知こそが原動力だった」と。確かにパンを焼くというパン屋としてはゼロからだったと思う。しかしビジネスという意味ではイチからだった。

作るべきもが明確にイメージできて、それを具現化するための問題点を捉え試行錯誤できる忍耐力。たとえそれがどんなに無謀に見えたり常識を逸することだったとしても。そして、決めた山に向かっての登り方を過去の経験をもとに体現できたからに違いないのだ。人の出会いなどの運も引き寄せれるのも才能だとも思う。

このゼロからに見えて実はイチから。このゼロとイチの間に横たわる大きな違いに気づけるか。イチに気づかすゼロと思っている人。イチと思い込んでいるゼロの人。人に歴史ありです。そして歴史というか道は延びる。イチを百まで続かせる事への挑戦。

あー、もっと必死に取り組まなと思わせてくれました。
ほんで、ホンマにこのパン美味しかった。このストーリーを踏まえてまた食べたいっす。次回は恵方巻きのようにかぶりつたる!!!下品でスンマヘン。。。

月曜日, 12月 10, 2018

2018年33冊目(326)

21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ
佐々木俊尚  (著)
Kindle版

僕は左翼とか右翼とか言った分け方が時代が価値観が多様化した時代背景にあってなくて、保守とかリベラルというのも簡単に括れるものでは無くなってきていると思っていました。

この本は政治的な考え方を歴史から振り返って現代に求められるべき主張というより立ち位置を浮かび上がらせていこうという試みに見えました。その過程で国家とは愛国とは自由とはを考えていきます。
読中読後に思ったのは、今まで真剣に過去の主義主張で起きた出来事の良かったところ悪かったところを顧みて次につなげる作業ってほとんど出来てないなという事。
反省する。傾聴すして主張する。議論の基本のないいがみ合い。セロサムでしか考えられない人間の性とでもいうのでしょうか。その中途半端の上に新たな出来事が起きる繰り返し。戦勝国の反省と戦国の総括から次が握手をすることでフラットにできるのではないかと。
仏教的な無常さ。明日は我が身であること。その認識。まず立ち止まって考える。そのためにこの一冊はタイトルの通りの優しいリアリズムだと思います。

そして今回初めてkindle版で電子書籍として読みました。僕は紙の本派ですが、以前自分がここで可能性を見出した読み放題のシステムを使ってこの本に出会いました。
まさしく、この本のリアリズム的な使って見て考えるを実行できたので余は満足です。
使い放題は可能性の解放。飲み放題は金欠時の神オプション。間違いない!

火曜日, 12月 04, 2018

M-1 2018がおわってしまったぞー!

M-1は霜降り明星の優勝で幕を閉じました。最年少のチャンピオン、おめでとうございます!

テレビをライブで観た後にABCラジオの放送を聞いて、その他もろもろの番組やラジオも拾いながら、もうしばらく余韻を楽しめそうな今日この頃。

今回特に感じた事を残しておこうと思います。
笑わせるという事実と笑わせる技術。ラーメンで言うと味と量みたいな。この2つのバランスの難しさ。これに尽きると僕は今回想ってます。
おいしさ重視と言いつつやっぱり量が気になったり、量がと言いながらもおいしさにこだわったり。満足感か満腹感ともいえるかな。志らく師匠のジャルジャルへのコメントがその一端なのかもと思います。

この量にあたる笑いの量が現場のスタジオでしか体感できない分、テレビで見ている感想との小さな感覚の差を生んだ気がしてなりません。去年はその量が分かりやすいお客さんだったのかなと。たぶんABCラジオの放送を聞いてラジオの方が観客の受け具合がよく伝わってきたのがテレビを見てなんかしっくりこなかった謎をクリアにしてくれました。

あと、えみくじが今回はかなり演者さんをかき回した気がします。順番の妙。でもこれもネタの選択と同じく運の部分。それを味方に付けたから霜降り明星は優勝したんだろうなーって。

これらの要素は日常生活や色んな分野でも当てはまると思うので何とも深いM-1に今年はなりました。

ここからおっさんの戯言。
しがないおっさんの採点表では「かまいたち」が良かったんです。
プラスマイナス来てほしかった。
和牛の2本目は僕にはまるで寓話や童話のような深さを感じた。
一つのコンビにだけ僕は言及したい。ゆにばーす!来年の革命をみせてくれー!

演者・審査員・すべての関わった皆さんお疲れ様でした。楽しい時間をありがとうございました!!あと最低2回は観直すんやろうな。。。

日曜日, 12月 02, 2018

M-1 2018がはじまるぞー。。。!!!

まだ放送までまだ時間あるのに緊張してます。。。
何年ぶりに日本でリアルタイムでみるドキドキ。。。
楽しみやし怖いっす。。。

しがないおっさんの独断による直感予想です。
これは何となくしとかんと。

1:かまいたち
2:和牛
3:敗者復活(プラスマイナス)

伸るか反るか。選ばれた・耐えた10組は日本一の漫才師だと僕は思います。
予想は当たろうが外れようが関係なく、たくさん笑いたい。
運を引き寄せて勝ちを掴んでください。素直に笑って感動して共感してお祝いします。
漫才最高!!Good luck :)

金曜日, 11月 23, 2018

ひ・み・つ

新しいもの発表する時、それは世の中の人に知れるとき。
練習の必要でその過程を経るものもあれば、思い浮かべたアイディアを実践で試す時が本番の時もあると思う。

棋士・羽生善治名人が2006年のNHK・プロフェッショナルの中で、初めて使う手を森内名人との対局で使い勝利を収めた。その後にこの手はもう通じないと思いますと語っていた。

僕がラクロスをしていた大学生時代、公式戦で使うフォーメーションや作戦を練習し時に練習試合言う名の実践で試したりする。練習試合の相手は試しても影響のない相手だ。だから、どこと試合してるとかは相手がスカウティングしに来ることもあるので秘密だったりするだろう。実際に当時なんてどうやってそんな情報を得るかなんて限られている。だから時に仕入れた情報を元にスカウティングにうちにチームとして出かけて行ったことがあったような記憶がある。

それを思うと、今の時代はそんな「練習試合などで試すこと」は果たしてどこまできるのだろうか。個人や団体として情報をSNS上がったりして見つけ出すことはそこまで難しいことではないように思える。それが組織としてしっかり専用の練習場など囲い込みが出来てない限り。

そんなことを思いながら、この世で最初に披露するし「ぎゃふん」と言わせることは個人でない場合に現在どこまで可能なのかな。

何かを作り出すことって意外な面で難しさがあるなと思ったのでした。
これは秘密でない秘密のアッコちゃん!!この一文は忘れてくれー。。。

水曜日, 11月 21, 2018

2018年32冊目(325)

スター・ウォーズによると世界は 単行本
キャス・R. サンスティーン  (著), Cass R. Sunstein (原著), 山形 浩生 (翻訳)
早川書房 (2017/11/21)

常々サブカルチャーは時代を反映するものだと感じてきた。それは作品群がどのような影響を受けたかを時代の変遷と重ねながら論考する色んな本を読んできたからだと思う。ウルトラマンや仮面ライダーシリーズなどを扱った本。食文化やアニメなどに関するのもあった。
そんな中、継続する作品として長きに渡り(現在も進行形で)世代を超えて語られるこのスターウォーズに関するこの本は正直他とは違う印象を感じた。

著者がこの物語の面白さや深さをあの手この手と多角的に解釈してゆく。マーケティング、政治経済、憲法論、文化論に道徳・宗教・家族論。逆にスターウォーズを使っていろんな出来事の理解にも使うという。となんとも守備範囲が広い。大谷選手ではないがまるで投げても打ってもである。メタファーにアナロジーに。隠喩的な解釈の仕方が多彩にできてしまうのだ。はじめに(P15)にある「スターウォーズは現代の神話である」というのがそれの象徴かも知れない。

現代の政治状況を理解するにはとて良い教材のように僕は感じた。トランプ大統領は生まれてしまったダースベイダーなんて視点で話を書けそうだし、実際に本の中ではレーガン革命や2008年のオバマ陣営の選挙戦をスターウォーズで説明しているし、実際なるほど思って読んだ。

ではジョージルーカスが最初からこの神話をすべて書いたのか?そこがミソで
ある。最初の構想がよかったのは間違いないが、よいオチに沿ってストーリーが膨らんでいった側面も間違いなくあったと思う。まるでお題に応える大喜利のように。だからこそ人々はこの話で「ああだったら」と2次創作で楽しむこともできるのかもしれない。

ここまで来て何が言いたいかと言えば、スターウォーズすげー!って事ではない(すごいのは事実やけど)。
最初のエピソード4が公開されたのが1977年。そして最新作は2017年。伝統を守りつつ最新の技術を加えながら40年も続く話だからそれだけ接点があるのだろう。かつ時代も廻ってきたんのだろう。

こんなモノを今後どうやって作るか。今後も残すか、いや残せるか。
商いにも研究にも創作にも文化にも応用できるのではないかと。物語や理念など言われるがそれは作るのか生まれるのか。そういった視点に目を向けるために今一度スターウォーズなのかもしれない。僕そう思ったのだ。
敢えて言うと、今も続いているキン肉マンは日本のスターウォーズなのかもしれないと思ったの事を最後に加えておきたい。

一日で全話コンプしたいけど飲みながら観たくなると思うと。。。
僕にフォースを!!

火曜日, 11月 13, 2018

筋力と有酸素と体重

テクテク歩くことが多いついこの頃。ラップトップや本などがガッチリ入ったリュックを背負って日常歩いてますが、家に帰ってまたは出かける前にテクテク歩きに行くことも。最近は後者の場合は軽い鉄アレーを持って歩いています。

この鉄アレーwalkingの際に思った事「歩くって結構腹筋を使ってるなー」って意識が出来て、やっぱり走るって全身使うことになるのかなどつらつら考えていました。そこで、今日はしっかり走ってみようと。
歩くときに負荷をかけてくれた鉄アレーにありがとうを告げ走り始めて数分。なんじゃこら、全く負荷を感じない。
さらに数分、息は切れ汗は流れ、走ってる感は満載なんだが全く負荷を感じない。
さらに数分、あの負荷は鉄アレーあっての事で歩く・走るの行為では発生しなと認識。
Uターンして帰宅。鉄アレーを手に取り走らずに歩く。
おーーーなるほど!!負荷あるやん!!

そして歩きながら色々考えた。

体重が重い人のダイエットはジムに通って筋トレに励んだりハーハー息を切らせながらランニングなどせずに、せっせと歩くだけで十分よいのではないかと。
体重の重い人が仮にやたせた人と同じ筋力だったとしたら、歩くだけでやせてる人より何十キロという負荷を乗せて歩いているのと同じだろう。それは息も切れるししんどいに決まってる。
50キロの人に50キロ持って歩くけ!と言ったらもう少し軽いのからでええんちゃうとなるが、その50キロがそもそも肉体に備わっていたら(肉襦袢みたいなものだ)どうもこうも無い。

体重が減り筋力に変わっていくある時点にきっと肉体的に最適解があるんだろう。それ以降は、筋力に見合った負荷が必要になるから。
それでいくと、筋力のない痩せた人がジムに通うのが一番理にかなっているように思う。最適解としては、多少歩くといった程度の日常の活動に過度の苦痛が無い人は軽くジム通いで良いのかもしれない。
走らんでも歩くだけで十分に自分の身体を知れそうだ。さっきの体重の重い人ではないが下手に走って膝を痛めたなんて愚の骨頂なのかもしれない。

いや、おっさん!!鉄アレー持って走れよ。。。あ、ホンマですねー!!